まずできないといけない

 めちゃくちゃなことを言うのだけれど、なにかをできるようにするには、まずできないといけない。
 できるためのやり方を学んで、理解して、それでできるようになる、ということがないとは言わないけれど、そういうのは大概、大したレベルの話ではない。子どもが学んでできるようになる時も、説明されたからできるわけではなくて(本人や周囲はそう思っているかもしれないけれど)、なんかできちゃう、というだけの話だ。
 できちゃってから「あれ、なんでできるんだろう」というのを立ち返って、あれこれ試す。
 なんでできるのか、という、そのプロセスすべてを知的に理解する必要はないし、普通はしないけれど、キーになる部分は覚えておかないといけない。
 いや、覚えないでも大丈夫な人はいる。子どもとか天才とかはそうだ。
 でも大概のボンクラは、覚えていないと、ある日突然できなくなる。下手をすると次の日にはもうできない。わたしなんかそうだ。だから合言葉みたいな、「これとこれとこれを守ればあれが出る」みたいのを意識化する必要がある。
 これが非常に難しい。
 できる時にはもうとっくにできてるのに、何年経っても合言葉が揃わない。
 やっと揃ったと思うと、その頃には別の何かができている。
 先にできてしまう。
 そして、できてしまうには、前からできていることの合言葉を探す稽古というのが、やはり基礎になっているのでは、と思う(たぶん)。
 まずできないといけない、というのでは順序が逆じゃないか、とは自分でも思うのだけれど、やっぱり、まずできないといけない。
 なぜなのか、というのは、わからないのだけど。

 本当にデキる人というのは、若い時からこういうことが身にしみているのだろう。
 わたしは頭でっかちでプライドばかり高いガキだったので、歳をとってやっと諦めがついたというか、もう本当に時間を無駄にした。
 今更若返ることはできないので、やることをやるしかないのだけど。

 身体は頭より賢いし、自然は身体より賢い。