バンクーバー

 バンクーバーの駅に降り立つと、ビルほどの巨大な遊覧船がオンタリオ湖の湖畔に何艘も横付けされ、いかにも北国らしい赤と白の塗装に彩られた船腹がほとんど町の断面とそそり立ち視界を遮っていた。しかし売店の売り子であるふくよかな婦人によると、一人乗りの橇こそが醍醐味だという。言われてみると駅前には、畳半畳もない簡素な樹脂製の橇が、貸し自転車の要領でいくつも並べられている。子どもの喜びそうな黄色や乳色の橇は、スコップの先のように先端が反り上がった一枚の板でしかなく、綱をつなぐ穴すら開いていないが、正座に腰を下ろす中途の姿勢で両端を掴むと、ふわりと宙に浮き空中滑走を楽しむことができるのだ。なるほどこれは冬の風物詩に相応しい。波が一メートルを超えると中止になるとの婦人の声に押され、バンクーバーの低い空に向けてわたしは飛び立った。
 雄大な大自然を期待していたが、いざ上空に飛び上がると一体どこに隠れていたのか、眼下に広がるのは摩天楼のひしめき合うくすんだ灰色一色である。今のバンクーバーは、年々広がっていく隣のニューヨークに飲み込まれ、ほとんど町の一部と化しているのだ。
 しかしビルにも劣らない遊覧船の壁を超えオンタリオ湖の上空へと滑り出すと、風景が一変する。驚いたことに、湖では一メートルどころか十メートルを優に超える、化け物めいた荒々しい白波がうねっていて、湖上遊泳を楽しむ人の姿など一人も見られない。凍てついた湖に飛び込めばあっという間に波に飲まれて凍死は免れられないだろう。
 ところが橇は、その湖面に向けてぐんぐんと高度を下げていく。助かるためには遊覧船の甲板に降りるより他にない。なんとか操ろうと橇の両端に強くしがみつくと、いかにも安普請で全体が強く反り上がり、うっかりすれば橇ごと折れ曲がり浮力を失いそうになる。売店の婦人の薦めは何だったのか。みぞれ混じりの風が吹きすさぶ中、一隻の船の甲板になんとか着地し顔を上げると、屈強な白人の水兵たちが口元にニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら取り囲んでいた。
「ヘルプミー! プリーズ、ヘルプミー!」
 橇の上で土下座し必死の命乞いするわたしを、白人たちは聞き取れない言葉で嘲弄している様子だが、こうなってしまえば恥も外聞もない。