似ても似つかないものを作って「パクリではない」と主張する

 パクリと言っても全く逆の二つの方向があることに気付いた。
 例えば作品などをパクる場合、真似はするけれど別の(自分の)作品として出すのが普通だ。つまり「似たものを作って違うと(オリジナルだと)主張する」。
 一方、模造品みたいな場合、「これは本物です!」と言って騙すわけだから、「似たものを作って同じ(本物だと)と主張する」ことになる。
 後者の方は、普通はパクリとは言わないのかな。中国製のピカチュウのバッタモン縫いぐるみの場合、「これはピカチュウです」と言ってシレッと売るものなのか、「ピカチュウに似ているヒカチュウです!」みたいに売るのか、どっちなのだろう。お客さんには前者のように装いながら、問題になった時は後者を主張して乗り切る、ということかな。
 美術品の贋作などは、「似たものを作って同じ(本物だと)と主張する」の典型だろう。
 それはともかく、マンガなどの場合、普通は前者のタイプのことが問題になって、後者というのは聞いたことがない。「ドラえもんの最終回」なども、流石に本当に藤子不二雄が描いたと主張したものではないだろう。「手塚治虫の幻の作品!」などと言って贋作を売りつける、というケースが存在するのだろうか。
 後者のタイプのもの、つまり贋作詐欺のようなものは、やはり本物の作者が存命であったり、死後それほど経っていない場合には難しいのだろう。普通に考えてすぐバレる。

 多分こういうのは、ウチが気付かなかっただけで、きちんと整理されてるものなのだろう。
 ただ、上の二つは、どちらも「似ている」ものだ。

①「似たものを作って違うと(オリジナルだと)主張する」
②「似たものを作って同じ(本物だと)と主張する」

 これが「似ていない」ものだとどうなるのだろう。

③「似ていないものを作って違うと(オリジナルだと)主張する」
④「似ていないものを作って同じ(本物だと)と主張する」

 ③は単にオリジナル作品を作っているだけなので、別に問題ない。
 でも、この問題ないことをすごく主張している人がいたら、それは①や②よりずっと面白いし怖い。
 しりあがり寿が「自分は大友克洋のパクりではありません!」などと突然主張し始めたら、かなり怖い。
 無粋なことを言えば、フロイトの言うところの無意識に否定はない、ということで、何かが主張されるということは、その命題の指示内容以前に、主張される、という事実そのものが意味を為している。命題内容が否定か肯定か、なんてことはオマケみたいなものだ。そこに突然、③のようなものが出てくると不気味で面白い。
 誰だったかが「零度の嘘」ということを言っていた。例えば「お昼になに食べた?」と聞かれ、本当はラーメンを食べたのに「カレーです」と答えるような、何の得にもならない嘘、ということだ。
 「零度の嘘」が面白いのは、それが嘘だからではなく、単に「零度」だからだ。③を主張するというのは、いわば「零度の真実」ということになる。「自分のことを王だと思い込んでいる王」。

 ④はもっと皮相な、普通の意味で馬鹿馬鹿しい。全く似ていない贋作、という安全な笑い話。
 ただ思うのは、もし本当に本物だったら、ということ。
 例えばピカチュウの縫いぐるみなどは、正式にパテントをとって玩具メーカーが作っているのだろうけれど、その出来がひどくて、ものすごい歪んだピカチュウになってしまったら、どうなるのだろう。
 その時はピカチュウの権利者の人が来て、「こんなのピカチュウじゃない!やり直し!」とか、一度与えた許可を取り上げる、みたいに話になるのだろう。実際上は、何かしらの制約をもうける契約になっている筈だ。
 でももし、そんなピカチュウが出てきたら、それは単に出来の悪い製品ということでしかないのだけれど、なまじ「ピカチュウのバッタモン」という存在があるだけに、何か不思議な味わいがある。