やってみなければ運命も何もない

最近気をつけている「合言葉」。まだまだ全然足りないのだけれど、これだけ同時にかつ瞬時に実現するだけでもかなり大変。

地面を掴む。と言っても趾だけに囚われてはいけない。趾は当然、特に小指の握りは重要だが、それと同時に踵の握り、とりわけ踵の内側の握り。確実に地面を踏める感覚。
膝の前に壁があること。反動のある感触が確かにあること。
お尻と腿裏の間が踵と繋がり締まっていること。ここが膝の壁、踵の踏みと連動し、前へ押し込む力があること。
尻尾の先が内側を向いていること。
臀部ブロック全体が掃除機の吸口に吸い込まれたような塊感をもってやや後ろにあること。この時、尻尾の方向が後ろを向いてしまうとただのへっぴり腰になり力は出ない。
後ろ足の握りおよび腰背部が起点となり、後ろ足が浮くのではなく沈む形で前へ力が出ること。臀部が前に引っ張られてはならない。
胸の高さが高いところでまとまり、上へ向かう力があり、これが仙骨とつながり響き合う感覚があること。
首の後ろに壁があり、これが胸部の縦方向の伸びを生むが、横方向についてはむしろ湾曲し胸が含まれ、肩甲骨が立ち、肩そのものは前に出る。
胸が箱になり前に出て乳房が無防備な感覚があること。
胸ブロック全体を振り回せる感覚があること。この時肩甲骨の間に意識があり、遠くで操作する無関心な感覚があること。
胸ブロックがきちんと嵌まることで肘に力感があり、前出す時は臀部が沈むようで、引く時は横に広がる。
前腕外側に張りがあること。
手の小指で刺す感覚があること。この時、手首を小指側に曲げてしまいがちだが、手首の屈曲ではなく張りをもたせること。

こういうのも、まあわたしなどが言っても何のありがたみもないのだけれど、一昔前に偉い人が言ったら秘伝の類だと思う。逆に言えば口伝みたいなのは、やってる人間が99%までできて1%を押し上げる役割しかないのではないか。
やっていない人間がこんな話をいくら聞いても与太話でしかないし、役にも立たなければ興味もないだろう。

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ほぼ100%自戒で言うけれど、今できないことが永遠にできないと思ってはいけない。
若い頃のわたしは馬鹿で傲慢で今以上にクズで、今できないことは永遠にできないと思っていた。
今できることを全力で出せばそれがアートなんだ!くらいに思っていた。
とんでもない驕り高ぶりである。
人は自分に何ができるかなど知らない。
明日にはできるかもしれないしできないかもしれない。
保証のあることだけやるならできることはなにもない。
明日の自分を信じる、とういより、自分を創って下さった御方を信じること。
その御方が「お前には無理」とおっしゃるなら、それもまた運命だ。
やってみなければ運命も何もない。