あたしがいた!を撮らないといけない、気がする

最近ちょっと真面目に写真を撮っていて東京わき見散歩地図に載せたりしてるわけですが、なんですかね、ここのところボロい建物だのもしゃもしゃしたものが多くなって、多少上手くはなったもののどうもパッとしない。
そういうのをどう撮れば面白いか、みたいのはなんとなく前よりわかるようになったのだけれど、選んで貰ってもグッ!という感じがない。他人に勝てる気がしない。
むしろ昔撮ってたようなものの方が良いと思ってしまう。

なんでかなーと考えると、身近な人の影響ですよね、これ。
影響は良いのだけど、錆びたトタンとか汚れたカーペットとか、そういうものならあの人が撮ったらいいんだから。
それはそれでいいの。錆びたトタンみたいな男なんだから、あれが彼の表現なんでしょうよ。
でもわたしは違うから。
では何を撮れば良いのか?と考えると、選ばれた中で自分でも「これはイイ」と思えるのは、(技術はさておき)これとかね。

水辺で鯉と鳩と亀がパンを取り合ってるんですけどね。
なぜこれがわたしにとって良いかと考えると、これがわたしだからでしょう。
この鯉ね。
見つけた時、思いましたもん。「あたしや!」って。「あたしがいた!」って。
だって鯉ですよ? 魚類ですよ? それがね、陸まで上がって鳩に体当たりとかしちゃってね。お前は馬鹿かと。そんなにパンが欲しいのかと。
あたしです。

やっぱりね、そういうのを撮らないといけないと思うんですよ。
「あたしがいた!」みたいのを。

その他、選ばれたものの中で「あたしがいた!」的なものだと、

こんなんですね。
あたしですね。

なんか、ちょっとわかった感じがしますわ。