「ああ~、あれこう使うんか!」

 技なんか最後の三日でやればいい!という教育を受けてきたし実際その通りだと思うけど、自由に動く中で結果的に技になっているということはあって、「ああ~、あれこう使うんか!」と使えてしまってから気づくことがある。
 逆に身体がないのに格好だけやってても百年経っても使えない。
 使える技と使えない技があるのではなく、技になる身体とならない身体があるだけだから。
 型というのは練習問題であって用法とか幼稚なことを考えるんじゃない!と人には言うしこれまた実際そう思っているけれど、それでもやる以上はきっちりやっておいて損はない。
 それも身体の繋がりができて、空間の手触りとか感覚があって、その結果的な必然的変化として動作に表れているのでなければまったく意味はないと思うけど。

 「ああ~、あれこう使うんか!」という気づきというのはとても大切で、最初から「こう使うんですよ~」とか説明してやるのは子供とか護身術クラスとか商売向けの話であって、そんなこと言われて納得しないとやれないようでは何をやっても無駄だと思う。
 説明されてわかることなんてその人の今のレベルまでのものでしかないし。
 つべこべ言わずにやれと言われたらやればいいんだし、それが嫌なら最初からやらない方がマシだ。
 だからただただ好きとか先生に惚れ込むとかひと目見てカッコイイと思うとか、そういうのは非常に大事だと思う。
 ちょっと頭がおかしくないと今時芸事なんてつとまらない。
 師匠に「あいつちょっと生意気だから殴ってこい」と言われて殴れないようなら時間の無駄だろう。
 いや流石にそんなこと言われたことないけど。

 「ああ~!」と思ってもそれから三年くらい経つと全然勘違いだとわかってまた違う面が見えてきたり、そういうことは沢山ある。
 だから「わかった!」とか思ったら自分で自分に眉唾で構えないといけない。
 大体間違ってるし。
 間違ってるというか、それはそれで一つの解だけど、終わりじゃないから。
 終わるようなことなら学ぶ値打ちもないんじゃないかと思う。

 まぁでもわたしはぼんやりしてるからねぇ。
 色々忘れちゃってどうしようもない。
 わかんないでもいいから覚えておかないとな、と思う。
 若い頃の自分を殴りたい。