塔手を巡る与太話

 塔手、という状態があります。
 カンフー映画なんかで右手の手首を互いに触れ合った状態から組手を始める場面がありますが、あの前手と前手が交差して接触している状態を塔手と言います。
 昔の中国武術系の(怪しげな)技術書などを読むと、この塔手の状態を前提にしていて、ここから展開して技をかけるようなことがよく書いてあります。いきなり脱線ですが、古本屋などで漁るとほんとに胡散臭い技術書が一杯あります。わたしは大好きですけどね、こう、虚実入り混じった玉石混交で見通しの悪い感じ。誠実さ以外に取り柄がないような人や本に学ぶとアホになりますよ。
 単推手とか呼ばれる稽古なんて、いわばずっと塔手的状態を崩さない練習ですよね。これも流派によって随分やり方が違うのでなんとも言えませんが。
 実際塔手的状態には深い意味があって、武器術を基本とする伝統武術系では自然な発想、ここを前提に考えると理屈が合うことが色々あります。接触し崩す、巻きつける、ロックして押し込む、固定し破壊する、説明される分にはいかにも筋が通って見えます。特に相手の得物が自分のより長い場合、接触しなければ接近のしようがありません(捨て身で飛び込むとかはナシとして)。
 また塔手から半歩入って対角にサイドに入り、相手の二の腕外側を取りに行く、というのは実際上も有効です。自分の体勢が維持された状態で(←ココ重要)相手の二の腕外をクロスに取ってしまえばもう勝ったも同然ですから。こっちは一本の腕で相手の二本をコントロールできますから好き放題です。漫画ですけど、『ホーリーランド』のマサキくんがやってましたよね。もっとも、実際には相手も馬鹿ではないですから、肩の筋肉の下くらいの、一番コントロールし易いところを綺麗に取らない限り、結構力で外されてしまいますし、外されないように頑張っている間に当身の好機を逃してしまうこともしばしばです。
 余談ですけれど、この手の「一本の腕で二本の手を封じる」とか、相手の腕を交差させて制御するような技術というのは、ジークンドーとか詠春拳とかの技術解説にもよく登場し、デモンストレーションだと実にカッコイイし「凄い!合理的!」に見えるのですが、実際の相手には自由に動く二本の足というものがあるので、それこそ合気ではないですがキチンと相手を釣り上げて体制を崩しておかなければ、余程のお人好し以外そうそう貰ってくれることはないでしょう。正直言って、こんなのが自由組手で綺麗に決まったとこなんてほぼ見たことありません。わたし如きが言うまでもなく、誰でもおわかりなことかとは思いますが、ほんの数センチ移動されるだけでコントロールなんかできなくなりますし、あわあわしている内に起死回生の回転ヒジとかバックハンドとか貰ったら目も当てられません。というか、漫画みたいに綺麗にコントロールするのに比べたら、この手の後ろ回転系の大技は余程現実的で、格闘技的な場面でも普通に目にしますし、わたし自身も決めたことがあります。
 ともかく普通に徒手で自由組手をやってみると、塔手的な状態にはなりません。大抵は自然にもう少し身体が開いた状態で向き合います。塔手から始まる技なんか覚えたって、そもそもその塔手の状態にならないのですから使いようがありません。「いつ出すねん!」というものです。
 敢えて塔手的状態を維持する形で組手をやっている団体の映像を見たことがあり、これはこれで良い稽古だと思いましたが(こういう風に限定して質を高める練習はどんな分野でも極めて重要)、普通の意味での自由組手ではありません。
 超黒歴史ですが、わたしは若かりし頃に色々浮気しつつ研究する内に、接点を常に維持するルールで組手をしてみたら良いのではないか、と思って仲間内で色々試したことがあったのですが、まあうまく行きません。だって不自然ですもん。
 理合いに合うとか合わないとか、そういうことを一旦脇において、普通に人がトコトコ歩いてきてぶん殴る、という状況でやってみれば、どうしたってある程度身体が開きますし、自分の右手は相手の右手より左手と相対します。仮にこっちが伝統空手風に深い半身で向き合っても、相手が正道会館スタイルみたいのだったらいかにも調子が狂います。出入りで一本取りに行く、それこそ伝統空手みたいなやり方でなければ、大体、正道会館スタイルみたいな方に合わせる流れになります。そっちの方が自然なんですから。
 武器を持っていたら全然違いますよ。特に長い武器を一個だけ持っていたらクロスする関係になるのは自然です。スポチャンのスティックとか使って遊びで殴り合ってみたらすぐわかります。棒で殴られたくないから、自分の棒で防ぐでしょう。お互いそれをやりあったら、勝手に塔手みたいな状態になるのです。
 でも手二本足二本フリーだとそうはならないわけです。
 厳密に言うと、流れの中でクロスの関係、対角の腕が触れ合う関係になることはあります。思ったよりもあります。ではここから塔手的な展開にできるかというと、大体そうなりません。なぜならクロスの状態から身体を開く動き、右前であればこの右手を右に開いて払うとか右腰に向けて引き釣り込むとか、そういう力はものすごい強いのですね。身体が繋がって下肢がしっかりしている人のこの力は半端ないですよ。これで払われちゃえばどうにもなりません。
 さらにもうちょっと言えば、全然使えないとかいうことはないのです。なぜ上の開く力にやられちゃうのかと言えば、遠いからです。身体から遠い位置で接触しているからです。特に無理に腕だけ伸ばして形に作ろうとしたらかえって自爆、自分が引き釣りこまれます。しかし距離が十分に近ければ違う展開になります。それこそ入り身のような瞬間の操作でサイドをとる訳ですね。言うのは簡単ですけどね。それができるなら苦労はないよ、というか。
 正確に言えば、ある程度距離があっても、自分の末端で相手の末端を通じて中心を制御する、という技術は存在します。でも物凄い高次元の話ですよね。ちょっと並の人間に真似できるものではないと思います。流れの中でクロスっぽくなって、巻技みたいに取ろうとしても、わたしなんか全然間に合いません。上述のように切られちゃうか、もう片方の手で打たれます。もう片方の手が使えてしまう、というのは勿論、接触した方の手を通じて中心を制圧できていないからで、逆に言えばそれができれば制御できるのですが、これはもうほんと、スーパー高次元の技術ですよ。
 特に体重の軽い側には果てしなく困難です。わたしはほぼ自分より重い相手としかやったことがないので、上手く行った試しがありません。
 ありえるとしたら、相手が突っ込んでくれた時ですね。身体が流れてる時なら回せますから。その場合でも、まず右手が左手、左手が右手という状態があって、回して、そこからクロスの関係になる、という感じでしょうか。別にここまでできればクロスがどうとか要らないですけどね。こういう「相手が勝手に回ってくれる」みたいのなら、結構何度も見たことがありますし、わたし自身も近いことはできていることがあります。
 まあ相手が極端に弱くて空間とか張りとか全然ないなら、もっと色々できるでしょうけどね。でも弱い相手前提の技術とか考えても意味ないでしょう。そんなに弱いなら、普通に左ミドルとかで倒せばいいじゃないですか。
 どちらかというと、塔手的と言ってもミスマッチ構えみたいな展開は割と現実的ですよね。相手が右前、こっちが左前みたいな関係のことです。相手の左手を右手で取って左に引き込みながら自分の右半身から入って崩す、みたいな展開、わたしはよくやります。これは全然、超展開ではありません。やればできます。これなら右で取った相手の左手を途中で自分の左手に渡す、換手的な技術も使えます。結果、入身でやりたいようなサイドの位置に割合に楽に入ることができます。太極拳の単鞭みたいな動作ですかね。いや太極拳よく知りませんので違ったらごめんなさいですけど。
 両半身みたいな、背中の中だけ回して転換するみたいな操作ができると、塔手的状態で練習したこと(接点を通じて中心で中心を捉える)が活きることは活きるのですが、物理的にあの状態で技とかかけると思っていると、徒手格闘では現実的ではないですよね。というか、一度でも普通にフリースパーしてみれば誰でもすぐわかりますけれど。ほんと、わたしみたいなヘボが偉そうに語ることじゃないです。すいません。 
 それでも何かやるとしたら普通の当身を入れてからですよね。この前段階みたいなところを、伝統系だけやってる人はストンと抜けてたりしますね。だから若い時はグローブつけてアホなこと色々やった方が良いと思います。
 年取ってそんながむしゃらなことやっててもしょうがないですけど、自分の身体の状態と相手の中心との位置関係、角度だけ見る感じで動くと、まあ結構近くまで安全に行けて、打ち込める時というのはあります。わたし個人はアホなので、原始的に中間距離から真ん中抜くのとかも嫌いではないですが、まとまった身体の相手が元気いっぱいだとなかなか大変なので、左で触りながら右で抜くとか、角度を付けて下からスマッシュぎみに打つとか、バッと接触した状態から微妙に下がりながらちょっと飛ぶみたいにして斜め上から打ち抜くとか、乏しいレパートリーの中でもいくつか思いつきます。そういうの一個入れて、そこからサイドに入る、というのは全然ある話だと思います(余裕でできます!とかは口が裂けても言いませんが)。
 なんというか、自分のやりたいことと全然違うことをやって、結果的にやりたいようにする、みたいな感じだと思います。完全にあきらめて正面から組むとか、ひたすら打ち合う流れになっちゃうと、軽い側は非常にキツイ。あと痛い。地力がつくので稽古では良いと思いますが、そんなんで重いのをコントロールできると思ったら大間違いですから、触れるとも触れないともつかない微妙な接触からまず一発入れて、すぐ転換する方が賢明だと思います。そこで相手が中間距離で止まってくれれば足技で仕留められますし、中に入ってもっと高級なことを追求してみるのも良いと思います。
 この一連の展開の中で気持ちが切れないのが一番難しいですよね。一個か二個ですから、普通に続くのって。三秒くらいしか続かない気がします。七秒くらい一気呵成に支配したいですよね。わたしは全然駄目ですけどね。

 まぁ、稽古の後でぼんやりしながらこういう与太話的なことをつらつら考えてるのが、一番楽しいと言えば楽しいですね。考えるだけなら楽ですし。