全部サタンのせい

 最近、ある殺人事件容疑者の部屋からアニメのDVDなどが見つかった、という報道がされて、「オタク=犯罪者」という構図を煽るものとして、批判を受けていた。
 この批判はまことにもっともなもので、例えば容疑者が子供の頃に野球をやっていたからといって、「野球は犯罪の温床!」とかいう報道がなされることはまずない。
 当たり前だけれど、「オタク」だろうが野球ファンだろうが、ほとんどの人は別に犯罪者ではないし、一定の割合で犯罪者が出ることはある。一万歩譲って、何かある特定の趣味における犯罪者発生率が有意に(少し)高かったとしても、その愛好者のすべてが犯罪者なわけがないし、こうした報道は慎まれるべきだと思う。
 それは当然として、なぜここで「オタク」がやり玉にあげられているかといえば、本当のところスケープゴートにされるのは「オタク」でなくてもよくて、テキトーに叩きやすい材料をあげて「やっぱり○○は犯罪の温床!」という演出をしたいだけなのだろう。これが「在日朝鮮人」でも構わないし、実際そういう言説も存在する。
 要するに、凶悪な犯罪を犯すような人々を、何かしら「わたしたち」とは違う属性に結びつけておいて、「自分たちは○○ではない、だから安全」という安心感を得たいわけだ。「外国人は悪いヤツ、ウチらの仲間にそんなヤツはいない」という言説は、世界中で見られる。
 本当のところ、「ウチらの仲間」たるところの「日本人」であろうが、「オタクならざる人々」であろうが、一定の割合で犯罪に走る人というはいるものだけれど、そんなことを考えていると無駄に不安になるので、何か他所のものに押し付けて、ひとまず自分の周りは安全、という気持ちを確保しておきたいのだ。
 これはかなりセコい考え方だし、無駄な差別を煽るだけなので、できれば世の中からなくなって欲しいけれど、啓蒙やら何やらの力でこうした語らいを社会から排除するのは、相当に難しいと思う。多分、あと二千年くらいは無理なんじゃないか。
 そもそも、「不安のタネになる危険の可能性」自体が消えることはないし、また一方で不安そのものが役に立たないのも事実だ。だから、嘘でもいいからタネを退けて、いつか訪れるかもしれない破滅のその日まで、平和な気持ちで安心して暮らしたい、というのは尤もな話だ。わたしだって、多分そのうち病気になって死ぬのだろうし、もしかすると来週あたりに強盗に襲われたりダンプに轢かれて再起不能になるかもしれないけれど、その日が訪れるまではボケーッとして暮らしていたい。
 不安になっても何の解決にもならない。いや、正確に言えば、解決になることもある、実際的な問題を明確にし、それを排除することで災いを避けることができる場合だってあるのだけれど、かなり多くの災いは最終的に避けることができない。また、賢くて力ある人間なら解決できる問題でも、わたしを含む大多数の無力で頭のユルい人間には、知恵とかお金とか色んなものが足りなくて避けることができない。
 つまり、不安のタネを他所のせいにして、災厄のその日が来るまでとりあえずテキトーに暮らしていよう、という戦略はまるっきり見当違いというわけでもないのだ。
 だから、こういう「オタク差別」的な報道やら、特定国出身者を貶めるような報道というのは、まったくもって不当ではあるものの、一方で少なからぬ人々にとっては利があるのも事実だろう。
 そういう風に考えると、いきなりものすごい話が飛ぶけれど、「全部サタンのせい」みたいな考えはなかなか有用だ。
 サタンのせいにしておけば、とりあえず自分はサタンじゃないし、ウチの家族も多分サタンじゃないから、さしあたり著しく狭い範囲だけは割と安全な気分にはなる。それでいて、サタンが「サタン差別!」とか言ってTwitterが炎上することもない。三方丸く収まる実に素晴らしいアイデアだ。
 もちろん、サタンじゃなくて「そういう運命だったんだ」「ヤツにはそういう血が流れていたんだ」「すべて神様の定めた運命、仕方がない」というのでも何でもいい。要するに、とりあえずTwitterとかはてブとかやってなさそうなスーパーナチュラルな人たちに全部まかせておけばいいのだ。
 こういう考え方というのは、近代以前は非常に一般的で、現代でも地域によっては当たり前に見られるものだろう。
 このやり方の問題点は明白で、ことの本質は何一つ明らかになっていないので、問題そのものは永遠に解決されないことだ。
 ただ、上にも書いた通り、問題というのは、その本質が明らかにされたとしても、すべてがすべて解決できるものではない。どうにも避けがたい災いというのはあるものだし、そもそも大多数のアホな人たちには問題解決なんて想像もできない。せいぜい、雨の日は滑って転ぶと危ないからゴム長履いていこう、とか、そのレベルだ。寿命や天災は言うに及ばず、長男がグレてどうしようもない、とかいう問題すら解決の糸口も見つけられないことがある。
 そういう時は、もういっそ諦めてサタンのせいにしたっていいと思う。長男がグレたのもサタンのせい。そのうちサタンも飽きて正業につくかもしれない。

 なんというか、物事なんでもよく考えれば筋道というのがあって、頑張ればなんとかなる、みたいな発想が、非常に厄介なのだ。
 いや、そういう前向きな姿勢自体は結構なことで、実際、そうやって頑張ってくれる人たちがいたから(今もいる)世の中段々良くなった面も多いにあるのだけれど、全部が全部筋道わかって解決できるわけでもない。
 できることもあるし、できないこともある。
 できない時は、サタンでいいんじゃないの。
 そういう運命だったんだよ。