『進撃の巨人』考察 「座標」とは何か

 思いつきで中学生みたいなかなり恥ずかしいことを書いてみようかと思う。
 なんと『進撃の巨人』考察や!
 あぁ恥ずかしい。
 これはちらっと某所に書いたのだけれど、例の「座標」について、ふと思いついたことがあったので、恥をしのんで年寄りが書き留めてみるわ。笑ってちょーだいよ。いや笑うな、クソが!

 で、これを思いついたのは、たまたま最近canvasにdrawCircleとかグリグリする活動をしていた時で、文字通りの座標をいじっていたら、進撃の巨人の「座標」もこういう感じでそのまんま座標なんじゃないか、という気がした。
 座標とは円の中心のことで、つまり三重の壁の中心座標ということ。それが転じて、そこを中心に(巨人を操作して)壁を形成する能力のことじゃないかな、と。
 『進撃の巨人』を読んでいる人はわかっていると思うけれど、(固まった巨人でできていることが分かった)壁の中に住んでいる主人公らに対して、壁の外の人ら(いわゆる「故郷」勢力)が「座標」を奪おうとやってきている。せっかくの壁をぶっ壊したりするので、壁の中の人は困っている。
 物語中でも、現時点までに「座標」が何か巨人を操る能力に関係するっぽい、というほのめかしはある。エレンが叫んで巨人を動かしたっぽい場面が一度あり、それを見てライナーやベルトルトが「あかん!」という顔をしていたので、どうもこれが「座標」に関係するっぽい。
 一方で、アニが巨人を呼び寄せたり、猿が巨人に自由に命令しているように見えたり、巨人を操作する能力というのは他にも見られる。もし「座標」が巨人操作能力なのだとしたら、多かれ少なかれ他にもそれを持っている人はいるわけで、なぜ奪いに来ているのかよくわからない。もちろん、能力自体が珍しくないものだとしても、壁の中の人には何らかの理由で渡したくない、という可能性はあるのだけれど。
 そこでもし、「座標」が壁を作る能力だと仮定してみる。
 壁は巨人を使って作るのだから、「座標」には必然的に巨人を操作する能力が含まれる。ただ、自在に操れるものなのかどうかはわからない。壁は作れるけど、細かい操作・指令は苦手、ということもあるのかもしれない。つまり、「座標」と「操作能力」は基本的には別物で、「座標」にはある程度の「操作能力」が含まれるけれど、「操作能力」専門でもっと上手な人もいるのかもしれない。実際、猿なんか大分自由に操れているように見える。
 そこでもし、「故郷」勢力の人々が壁のない暮らしをしているのだとしたら(それもどうだかわからないのだけれど)、彼らが「座標」を欲しがるのは尤もな話だ。
 「操作能力」を持った人たちがある程度いれば、それなりに巨人から身を守ることはできるだろうけれど、それでも巨人と同じ地べたで暮らしていることには変わらない。能力者が順番に寝ずの見張りにでも立たなければ、おちおち夜も寝ていられない。壁の方が断然安心だ。
 壁の外は巨人がウロウロしているので、サバイバル的に大変厳しい環境だ。今のところ、壁の外から来た人たちは全員知性巨人で、ただの人間というのはいないのだけれど、生身の人間がいたとしても、相当サバイバルスキルが高くないと生き残れない。知性巨人にしたところで、油断すればパクリンチョだから、必然的に熟練度が上がる。そうでなければ死んでしまう。実際、現在までに登場した壁の外の人たちは、エレンに比べると熟練度が高いように見える。
 一方、巨人の側からしても、ウロウロしてうまいこと知性巨人能力を持った人を食べることができれば、人間に戻ることができる。そうやって食いつ食われつの関係があるのだとしたら、淘汰圧のようなものが働いて、強い知性巨人能力者だけが長いこと人間でいることができることになるだろう。アニのスキルなどが異様に高いのも納得できる。
 そういうハイスキルな人たちからしても、やっぱり壁があった方が安心だ。もしも壁の外に生身の人間がいて、彼らを知性巨人が守らなければいけないのだとしたら、なおさら壁が欲しい。ちなみに「戦士」という用語が劇中に登場しているけれど、この守る人たちが「戦士」なのかもしれない。もしそうだとすると、「戦士」はなかなか名誉ある立場ではあるけれど、「戦士」たるためには必然的に巨人でなければならず、志願して巨人薬を打つ(そして知性巨人を食べる)、といったことはあんまりうれしくない選択のようにも思う。役職としては高潔かもしれないけれど、共同体の中で生け贄のようにして「戦士」役が押し付けられるのかもしれない。ハズレ券にあたったような人が、巨人薬を打たれて老いた巨人を食べる儀式のようなことを行い、晴れて「戦士」となり村を守ったりしないといけないのかもしれない。だとすると、ユミルの「皆のために死んであげた」といったセリフも理解できる。
 ライナーが「老い先短い殺人鬼」みたいなセリフを言っていたことがあり、知性巨人になると寿命を削るのでは、という考察もあるけれど、もしそうだとしたら、ますます「戦士」職はババを引いている感がある。わたしだって、「カッコイイ巨人になって皆のために他の巨人と戦い村を守ってくれ! 早死にするけど」とか言われたらたまらない。
 ちなみに、ユミルが相当長生きしていることから、少なくとも無知性巨人であれば寿命は削らない(むしろ長生き)のだろう。例えば、ユミルが儀式の仮定で、巨人薬は打たれたけど(いけにえ用の老いた)知性巨人を食べる前に脱走したとしたら、辻褄は合う。だとするとユミルは仮面ライダー的やな。
 また、寿命を削るのが巨人への変身行為であり、その能力を持っていること自体ではない、とすれば、グリシャがそれなりの年齢まで生きていたことも合点がいく。少なくとも壁の中に来てからは、そうそう変身はしていなかったはずだ。

 さて、そんなわけで、ババを引かされた「戦士」の人たちが「壁さえあればこんな苦労はないのに!」と思っても不思議じゃない。壁の中でぬくぬく暮らしているヤツらをぶっ殺して、「座標」をかっぱらって壁を作ってしまえば、もう戦わないで済むのだ。
 もしこの前提が正しく、かつグリシャが壁の外から来たとすると、彼が壁の外で戦っている壁内人を見てびっくりしたのも合点がいく。彼らにとって、巨人と戦うというのは「戦士」の仕事、つまり巨人化能力をもった人たちの役割だ。まさか生身の人間が巨人と戦っている、しかも壁の中にさえいれば戦う必要もない人たちがやっているとなれば、驚くのも無理はない。
 グリシャは壁の中が平和であることに安堵していた様子があるけれど、「壁さえあれば安心」という考えを裏打ちされた、とすれば、これも納得がいく。

 さらに、「操作能力」を持つ人々が「故郷」勢力の中にいるとすれば、これを「座標」と組み合わせれば、もっと良い解決策ができる。
 壁を作った上で、逆にその中に巨人を誘導して入れてしまえばいいのだ。
 そうすれば人間たちは広い土地を使うことができ、また元人間である巨人を無駄に殺生しないで済む。

 壁が欲しいなら、直接今ある壁の中に押し入って、乗っ取ってしまえばいいじゃないか、と思うかもしれないが、「座標」能力をキープしておかなければ、何かのキッカケで勝手に壁が解体されてしまうかもしれない。逆に「座標」さえあれば、別の場所に壁を作ることもできるのだ。
 そのため、「故郷」勢力は慎重にならざるを得ず、何はともあれ「座標」を奪取することを第一に考えていた。グリシャはこのための内偵に入っていたのだろう。
 しかしいつまで経ってもラチがあかないので、いっそ壁を破って中に巨人を入れてしまえば、「座標」を炙り出せるのではないか、という考えが出てきた。ライナー、ベルトルトらはそのために送り込まれたのだろう。あるいは、グリシャ同様、最初はただの内偵として入ったけれど、まるで進展がないので方針転換されたのかもしれない。彼らが子供だったのは、「戦士」としての余命を長くもった状態で送り込みたかったのか、あるいは少年兵のように洗脳しやすかったからなのか、ちょっとわからない。
 一回目の壁ドンから二回目までに大分時間がかかったのは、彼らの想定としては、壁が破られればどこかで「座標」能力が使われ、修復が行われるはずだったからではないか。つまりそのタイミングで「座標」をあぶり出し、そのままかっぱらってスタコラサッサーという作戦だったのだ。ところが、待てど暮らせどマリアは破られたままで、修復されない。その辺は、ロッドらも敵の思惑を読んでいて、ここで下手に「座標」を使ったら丸ごとやられる、という考えだったのかもしれない。まるで進展がないので、とうとうしびれをきらせて二回目の壁ドンとなった、と推測できる。
 一方、グリシャとしては、最初の壁ドンの段階で、このまま放置すれば(情の湧いた)壁の中の人も困るし、なんとかしてくれ!と訴えに行ったのだけれど、保身に走るロッドやフリーダらに拒否されて、ブチ切れて食べてしまった。それなら自分で壁を作ればいいはずなのだけれど、「座標」能力はある程度の年齢までに継承しないと使えるようにならないのかもしれない。自転車に乗るのや外国語の習得だって、子供の頃から始めた方が早い。それと一緒で、自分の年令では今更「座標」が使えるようにはならない、という判断で、皆を守るためにエレンに託した、ということではないだろうか。

 問題は、壁を構成するのも巨人で、しかも皆が超大型クラスらしい、ということだ。この壁用巨人はどこから調達するのか。
 「座標」能力さえあれば、野良巨人をうまいこと大きくして壁にできるのなら、問題ない。どのみちその辺に巨人は沢山いるので、それを集めて壁にしてしまえば、一石二鳥だ。
 だけれど、もし壁用に新たに巨人を調達しないといけないのなら、壁用の人間が必要だ。「故郷」勢力としては、「座標」を奪った上で、壁の中でいままでぬくぬく暮らしていた連中を使ってマイ壁を作ってやろう、という魂胆なのかもしれない。壁の中の人たちには気の毒だけれど、壁の外で厳しい暮らしを送ってきた彼らからすれば、当然の行いとも言える。
 さらに、もし「故郷」勢力の人たちが、現在ある壁の形成に際して、置き去りにされた人々の子孫だとすれば、ますます彼らの言うことにも理があることになる。仲間を大勢壁用に使われた挙句、「お前たちはそこで何とかしてね」的に扉を閉められてしまってはたまらない。ベルトルトが「悪魔の末裔」と言うのも尤もだ。

 以上の仮説では、そもそも最初の巨人化はどうして起こったのか、最初の知性巨人(たち)がどうして発生したのかは、何もわからない。その辺が物語上明かされるのかどうかもわからない。
 例えば、当初は人間を無敵化する研究だったのだけれど(実際、巨人は急所をやられない限りいくらでも再生するし、知性巨人能力者は人間状態でも異様に生命力が強い)、うまく行かずに暴走して巨人になってしまった。一部の人たちにはそれを制御し、知性巨人と人間を行き来する能力が発現したけれど、その理由はわからない。その能力を受け継ぐには、知性巨人を食べるしかない。何らかの理由で巨人化効果が流出し、ゾンビに襲われた世界のように世界中巨人だらけになってしまい、限られた人たちしか生き残れなかった、といったようなことかもしれない。

 とりあえず、この仮説は純粋にわたしの恥ずかしい妄想で、特に根拠はない。
 今まで妄想したものの中では、割と辻褄が合うような気がしなくもないので、恥をしのんで年寄りが書き留めてみる。
 笑ってちょーだいよ。いや笑うな、クソが!

4063955494進撃の巨人(18) (講談社コミックス)
諫山 創
講談社 2015-12-09

追記:
 以上の仮説だけだと、ロッドらが「レイス家の血をひいたものでないと能力をつかいこなせない」としていたことと矛盾する。誰でも「座標」能力を持った人を(若いうちに)食べればそれを使えるなら、レイス家の血は関係ないことになってしまう。
 ただ一方で、最新話でライナーが「エレンが座標を使いこなせるようになったらヤバイ」的なことを考えていたので、エレンでも熟練すれば使える性質のものではあるのだろう。
 もしかすると、ロッドが言っていたのは「座標を使いこなせるための方法」的なもので、これは口伝か何かで伝えられていて、別に血は関係ないけれど門外不出で教えられない、みたいな話かもしれない。あるいはロッドが嘘をついていた、または嘘を信じ込んでいた、という可能性もなくはない。
 逆に、「故郷」勢力の方の情報が不正確で、特定の条件が満たされなければ、いくら食べても「座標」は無効、というのを知らないのかもしれない。
 ただ、レイス家の人々は初代巨人の記憶に支配されるようだし、周りもそれに影響されるものだろうから、本当は頑張れば他の人でも使えるのに、保身のために自分たちだけしか使えません、と信じこまされてきたのかもしれない。
 どれもこう書いていて実に無理のある想定なので、その辺は多分、未知の条件があって、物語中で明らかにされるように思う。