男性と女性とかいったネタは、何をどう書いても色んなところから怒られるので気が進まないのですが、ちょっと模式図的な落書きを思いついたので載せてみます。
・男性からは、遠くから見ると女性と「良いもの」が一緒のように見える(女性=「良いもの」)
・時々、女性が「良いもの」を背後に隠しているようにも見える
・近づいていみると、実は女性は「良いもの」とは別で、むしろ自分が「良いもの」に近づくのを阻んでいるように見える
・「良いもの」の放つ光が強すぎて、なかなかその前にいる女性そのものが見えない
・女性からは、遠くから見ると男性が自分を求めているように見える
・しかしよく見てみると、男性の視線はいつも別のところに結ばれていて、ちっとも自分を見ていないようにみえる
・(あらぬところに視線を合わせながら)自分の方向に向かってくる男性が、攻撃的で脅威に見えることがある
・男性には、自分には見えない「良いもの」が見えていて、「良いもの」について「知っている」ようにみえる
結局、男性も女性も「良いもの」そのものに到達することはできない。
ただし、女性は前方に開けた視界を諦めて、背中越しに「良いもの」を感じる、という選択肢が残されている。
男性の背後には何もないし、視界の中に映る「良いもの」の光が強すぎる。
図の左側の男性の側にはただ男性しかいないので、男性と地との境は明瞭であり、男性は「地ならざる」ものとしてはっきりとした輪郭を持つ。一方、女性の側には女性と「良いもの」があるため、女性は「地ならざるもの」として取り出すことはできない。女性もまた地ではないことは確かだが、地ではないもののすべてが女性なわけではない。
こういう風に眺めてみると、ラカンの性別化の定式(セミネール『アンコール』のもの)もちょっとわかりやすいのではないかと思います。もちろん、その含意のすべてがこんな落書きで表現できている訳ではないですし、あくまでその一面を不正確に概括しただけの話なので、ちゃんと勉強されている方は怒らないで下さいね。
言うまでもなく、ここでの男性女性とは、生物学的なそれとは全然別のものです。ある種の構造的な関係を示したものですが、とはいえ、少なくとも女性については、「定義」という形で描き出せばそれもまた違う、というのが性別化の図で言われていることでもありますが。
まぁ、お遊びです。