黒沢清監督の『クリーピー 偽りの隣人』を見てきました。
まず物凄い大雑把なことを言うと、ここのところの邦画全般の出来を考えると十分元がとれる良作ですが、『CURE』『カリスマ』などの黒沢清監督の名作を考えると、そこまでの完成度とは思えないです。
自らの捜査手法への過信が招いたミスにより刑事をやめた大学教員が、犯罪心理学的関心から過去の一家失踪事件を追うとともに、引っ越した先の奇妙な隣人との奇妙な関係に巻き込まれていく、というサイコサスペンス。前半は誰が犯人かもわからず、一方で登場するどの人物も奇妙で、大どんでん返しが待っているのでは、という緊張感が非常に怖い映画です。
以下、ネタバレを含むので注意です。
まず、前半部のミステリー調の部分については、演出上の一貫性もあり、「ちゃんと不安になる」という意味で安心して見られます。
問題は後半の、隣人宅内部のセット撮影が登場してからです。
この辺で「犯人」はほぼ確定となり、サイコパス vs 元刑事という展開となっていくのですが、正直、このセットがどこかのハリウッド映画から借りてきたようなコテコテの演出で、ちょっとそれまでの「日常に潜む狂気」的な雰囲気と齟齬をきたしているように思います。
あれはあれで典型的なサイコ描写としてあっても良いのですが、そうであればサイコサスペンスというよりホラー的な方向で一貫してくれている方が、見ている方としては安心できます。
香川照之は本当に名優だと思うのですが、普通に「怖い、気持ち悪い人」になっているので、日常からあまりにも逸脱していて、平凡な風景がそのまま狂気へと転じる過去の黒沢作品の怖さに比べると全く質の違うものになっています。黒沢作品ということであれば『CURE』などよりは『地獄の警備員』的なホラーです。
つまり、一つの作品の中で『CURE』っぽい方向と『地獄の警備員』っぽい方向が混ざってしまっていて、どっちのつもりで楽しめば良いものか、今ひとつ平凡な観客にはわかりにくいのです。一緒に見に行った身近なお方によれば「そこがイイ」そうなので、必ずしも悪いことではないのでしょうが・・。
個人的には『CURE』は非常に好きな作品で、あの映画の場合、空っぽの「犯人」が作り出す洗脳効果のようなものが、冷静に考えればありえないものであったとしても、映画内的にはリアリティがあり、「そんなことももしかしてあるかもしれない」という見方ができました。
一方、『クリーピー 偽りの隣人』の犯人像は極端すぎてコミカルなまでになっており、純粋に隣人の心理を操作しているとしたら、到底映画内的なリアリティが足りません。それで薬物というファクターが入ってきているのかもしれませんが、なんとも取ってつけた感じで安っぽいです。
本来であれば、その分、犯人の方ではなく、主人公の過去のトラウマ、夫婦間の静かな不和のような要素が軸になっているべきかと思うのですが、その辺が演出的に控えめで、あまり伝わってきません。おそらく原作では夫婦間のそれまでの関係がもっと丁寧に描写されているのではないかと思うのですが、映画では今ひとつ唐突で、事件のぶっ飛び具合にリアリティを与えられていません。
主人公の過去の失敗というところも、映画全体での一貫性が見られません。演出上の問題なのか、役者さんのせいなのかはよくわかりませんが、このキャラの複雑さ、心理的過程というのがよくわからず、ただ単に熱血なのに突然非常識な行動をとるわけのわからない人になっています。その分、前半では「実はコイツが犯人というオチなんじゃないか」「コイツが一番アタマがおかしいんじゃないか」という緊張感にはつながっているのですが。
ラストについても今ひとつ釈然としません。あれだけ薬の万能アイテムぶりが強調されていたのに、突然まともに行動し始める主人公。心理操作がメインなのか、薬物の効果がメインなのか、意図が分かりません。
個人的には、主人公は今回も能書きばかりで役に立たず、最後に犬が活躍して犯人が噛み殺される、とかのオチが良かったです。あるいは、突然車が事故って犯人が死ぬとか、偶然的要素で唐突に幕が閉じるのも面白かったと思います。
ただ、犬が殺されなかったのは本当に安心しました。
マックス、よかったね!
でもこの犬、本当に役に立たなかったよ。
追記:
刑事が一々単独行動になってやられるのとか、見ていて「ふっっざけんなよ!」とイライラしましたが、その辺は「ホラー映画あるある」なので良いんじゃないでしょうか。