『刻刻』堀尾省太の素晴らしさと欠落

4063728226刻刻(1) (モーニング KC)
堀尾 省太
講談社 2009-08-21

 堀尾省太さんの『刻刻』です。
 最近読んでいるオススメのwebマンガの最後でチラッと書きましたが、きっかけはマンガボックスというアプリ。ここで毎週一話無料で読めるようになっていて、最初の二話くらい読んだところで「コレは絶対面白くなる、買わないと損だ」と思い、全巻まとめて購入しました。
 一部では結構話題になった作品のようですが、恥ずかしながらマンガボックスで読むまで知りませんでした。
 さわりを読んだ時は諸星大二郎さんのような世界かと思ったのですが、それっぽい民俗学的要素は演出で少し使われているだけで、作品そのもののトーンは全然違いました。岩明均さんと大友克洋さんを足して二で割ったようなところがあります。 『寄生獣』とはよく比較されるようですが、白っぽい絵柄、時々入るギャグのセンス、止め絵によるアクションの表現などは似ているように感じます。一方、岩明作品に見られる基底を流れる重厚なテーマの匂い等は見られず、一見重そうに見えながら割りと娯楽に徹している作品です。作者がまだお若いのか、もともとのルーツ的に割りとポップなノリの方なのか、その辺は分かりません。  女子どもと年寄りが活躍するところは大友作品を髣髴とさせますし、「何かありそうで実はエンターテイメント」というところも似ています。一方、絵柄は全然違いますし、大友作品が割と直球に盛り上げたり狙った淡々さを演出しているのに対し、『刻刻』のリズムは独特で、盛り上がると思いきや急に日常ノリに戻ったり、と自在に揺れ動きます。
 このリズム、予想できない緩急の変化というのが、わたしにとっての『刻刻』の最大の魅力です。
 その前にあらすじをWikipediaから引用すると、

佑河樹里は、無職の父 貴文、ニートの兄 翼、隠居の祖父(じいさん)と母親、シングルマザーの妹 早苗、甥 真と共に、貧乏な暮らしながらも平凡に暮らしていた。
ある日、甥と兄が幼稚園からの帰路の途中で誘拐され、犯人から樹里・父の元に身代金要求の電話が掛かってくる。犯人の要求する身代金の受け渡し期限までは30分しかなく、間に合わないと悟った樹里は、犯人と刺し違える覚悟で2人の救出へと向かう決意をする。しかしその時、祖父が佑河家に代々伝わるという止界術を使い、時間を止めてしまう。人も物も森羅万象が止まった止界で樹里たちは2人の救出へと向かう。
しかし、向かった先で自分たち以外の動く人間たちに遭遇、急襲される……。彼らは、止界術を崇める「真純実愛会」の教祖佐河順治と、幹部の柴田・宮尾、相談役の間島翔子、さらに金で雇われた外部の人間たちであった。彼らの目的は、佑河家にあるとされる「止界術の石」を手に入れることだったのだ。

 というお話。
 以下、ネタバレも含むので注意です。

 幼い甥と兄が誘拐されたことから、樹里とその父、祖父が時間を止めて助けに行く、というところから物語が始まります。この止界術について、祖父は事件が起こるまでほとんど騙っておらず、樹里とその父は事情もよくわからないまま不思議な術で時間を止めて救出作戦に参加することになります。物語のほとんどすべてが、この止まった時の進まない世界の中で展開します。
 物語の始めの方で、ひょうきんな正確の祖父が「時間はたっぷりある」と言うことがありますが、すべてが止まった「時間に余裕のある」世界のためか、物語のリズム、緩急が独特なのです。この停止空間には樹里らだけでなく「敵」になる勢力も入り込んでいるため、バトル的展開になることもあるのですが、その戦いも少年マンガ的な交響楽的盛り上がりを見せるのではなく、突然ぶわっと膨らんですぐしぼみ、また緊張感のない日常のような風景に戻る、という流れがよく見られます。
 行ったことはないですが、実際の戦場というのは意外とこんなものかもしれません。映画の世界のように始終緊張して撃ちあっていては命がいくつあっても足りませんし、緩い緊張から突然に事態が展開してすぐ収拾、のような出来事が繰り返されているようにも思います。考えてみると、路上の喧嘩もそんな感じの「どこからが戦いかわからない」ことがよくありますし、そもそもわたしたちの生そのものがガチとも茶番ともつかずその境目のわからない、プロレス的なものでしょう。
 最初に実愛会の人たちに襲われた時も、とりあえずその場を脱した後はトボトボ歩いているだけで、随分悠長に遠回りしてから次の手に移っています。
 また5巻の「孫子の兵法」ネタも好きな箇所の一つです。爺さんが知ったかして長女に「一昨日のNHK」と突っ込まれる場面ですが、そうしている背景で間島が佐河に襲われている、というところです。とても映画的というか、間のとり方が絶妙です。
 またこれは特に珍しい手法ではありませんが、舞台の全体像がなかなか見えないところも魅力的です。最近その手のマンガが増えていささか食傷気味なところもありますが、『刻刻』は引っ張りすぎず見せすぎず、いい按配で気を持たせてくれます。主要キャラ以外にも魅力的な人物が色々いるのに人間関係が見えにくいですから、何度も読みなおして楽しむことができます。

 その複雑な人間関係の中には、魅力的なキャラも沢山登場します。
 主人公である長女、じいさんも面白いですが、このマンガの非常にうまくやったところは「雇われ組」というチンピラ連中を導入したことでしょう。
 実愛会 vs 佑河家だけでは人物のバリエーションがかなり限られてしまいますが、無法者たちがなぜか紛れ込んでいることで、俄然物語的に面白くなります。
 雇われ組のリーダー格で割と頭もまわり、強くて話もできそうだった加藤が不意打ちで速攻やられてしまうのもたまりません。
 身勝手なチンピラを絵に描いたような飛野も、こういう勝手な人物がいてくれるだけで断然物語に深みが出てきますし、実際大活躍?してくれます。
 個人的には割と早い段階で味方になってくれた迫が好きです。ただのチンピラですし、見た目も冴えない感じなのですが、間島に対して優しい一面もあり、素敵なキャラだと思います。

 一方で、何度も読んでいると贅沢な不満も出てきます。
 前半は非常に良かったのですが、後半になるとバトル展開というか、とにかく打倒佐河だけが物語を引っ張る形になってしまい、当初は様々な糸が交錯した複雑な世界観だったのが、単純で寂しい風景になっていきます。
 この変身した佐河は『寄生獣』で言えば後藤ですから、お話を終わらせるために必要な存在ではあるのですが、あまりにもその存在が大きくなってしまって、少年マンガ的なイージーな構図になってしまっています。
 『寄生獣』であれば、後藤とのバトルという線と同時に、田宮良子(田村玲子)と母子関係という大きな線があり、バトルで物語を牽引すると同時に、主テーマにつながるいくつかの副テーマをめぐって別の要素が交わっていきます。
 しかし『刻刻』では、『寄生獣』における母子関係や生の意味のような重すぎる通奏低音があるわけでもなく、間島とその家族の問題という割と面白い素材も比較的早期に綺麗に片付いてしまい、「中年ニート」である父の黒い一面も膨らまされることなくコメディ的に回収されるだけで、これといって主軸に交わりうるようなサブの要素がありません。そのため、物語の全体像が見えてしまうと、後は打倒佐河というラストに向けてひたすら駒をすすめていくしかなくなってしまい、後半でやや物語の魅力が失速しています。
 「時間」という素材を扱っていることから、テーマ的には膨らませ方は沢山あった筈で、見せかけだけでも何か深遠さをもった風に演出できればもっと面白くなっていたように思います。

 次に、「普通の男性」のあまりの不遇、ということが気になります。この物語で活躍するのは長女とじいさんで、どちらも「血」でしか説明されないチートな能力をもっています。これに対し、佑河家の他の男性、中年ニートパパの貴文、引きこもりの翼の二人があまりにも見せ場がなく、また人間的にもマイナスに描かれすぎています。悪意すら感じるほどです。
 一方でじいさんのひ孫にあたる真は大活躍する場面があり、「女・子供・年寄り」は活躍する一方、「若年・中年男性」は徹底して背景に追いやられています。実愛会サイドに付いて言えば、「ラスボス」「雑魚」ともにほぼすべて「若年・中年男性」で、唯一物語らしい物語を背負った間島は若い女性、という構図になっています。
 こうした構図はマンガの世界などではしばしば目にするもので、ほとんどの場合、男性作家の描く世界でしょう。一見すると女子どもが活躍するフェミ的世界のようですが、実は「若年・中年男性」という中心項をネガポジ反転させただけで、ある意味マッチョというか、マジョリティにとって心地よい世界であることは変わりません。これを示唆していることに、こうした物語には中年以降の女性というものは全く登場しないのです。ポジティヴ・ネガティヴという以前に、完全に不可視化されて目に入ることすらないのです。
 マッチョな世界観を持ちながら、自分自身はその世界の中で強者とはなれないため、世界の構造を変えないまま強者と弱者を反転してみせているのが、こうした物語の基本構造です。
 ちなみに、ラスト部分で突然登場しすべてを解決してしまうキャバ嬢のようなキャラも若い女性です。
 とはいえ、こうした無意識的なマチズモが表出しているのはこの作品に限った話ではなく、当然ながら悪意のようなものを疑う訳ではありません。ただ意識化されないだけに執拗な切り取り方のクセというものがり、誰を責めるわけにもいかないだけにちょっとグッタリするのです。

 さらに、上と関連するのですが、佐河が胎児になり再生する、というエンディング。しかもそれを長女らが可愛がって育ててしまったりするあたり、安全な母性神話がチラつきすぎてさすがに気持ち悪いです。
 『寄生獣』の後書きで、後藤の最後についてはいくつかの案があり、パワーダウンして再生するが無害な生き物になる、汚染された日本を嫌って翼を生やして大自然へと飛び立つ、といったものがあったようですが、どれも実に甘ったるいです。『刻刻』のラストにはこういう種類のイヤな甘ったるさがあります。
 佐河が再生に入る前に、突然現れた貴文が模造刀で佐河を刺し殺してしまう、という場面があり、ややコメディ的な扱われ方をしているのですが、むしろこのあっけなさで突然貴文が殺してしまう、という処理の仕方の方が良かったと思います。
 ただそれだけではあまりにアッサリしてしまうので、そこまで持っていくまでの展開をもう少しもたせるのと、打倒佐河以外に何かもう一つ軸を用意しておいて、佐河殺害後もエピローグ的に話を続けられるようにしておく必要があったでしょう。佐河の再生具合がよくわからず、皆でただ待っている、というあの演出は非常に良かったので、ああいう感じに「どうなるかよくわからないけれど放って帰るわけにもいかない」要素が別に一つあれば良いのです。といっても別にアイデアもないのですが、例えば翼は神ノ離忍になる前に救出されましたが、あのまま神ノ離忍になってしまって、予期せぬ展開になって放っておくわけにいかない、等、作者であれば何か出せた気もします。
 また、実愛会の「本物の信徒」である宮尾が、もっと粘ってくれて、佐河とは別の意味で厄介な敵になっても面白かったと思います。

 『刻刻』の作品全体としては文句なく面白く、特に設定と演出・描写には抜きん出た魅力があります。
 幸か不幸か物語中には解決しきっていない謎と言えるものも残っていますし(そもそもの止界術の始まり等)、続編を描こうと思えば描ける状態です。
 機会があれば是非この世界の続きが見てみたいです。
 その時は青年になった佐河ジュニアを中心に、おばさんになった長女、そしてこんどこそ貴文や翼に活躍してもらいたいものです。