『シン・ゴジラ』は進化前で勝負して欲しかった!

 『シン・ゴジラ』を見てきました。
 というわけで、小学生のような感想をメモしておきます。ちょっとネタバレ含むので注意です。

 個人的に「ぐはっ!」と思ったポイントは二つ。
 一つは一番最初にゴジラの顔が映った瞬間。「え、これで行くん!?」とめちゃくちゃインパクトを受けました。
 めっちゃアホの子っぽいつぶらな瞳で地面をのたうち回っているゴジラ。これは新しいわ!と感動したのです。
 でもまぁ、さすがにそのまんまってことはなかったですね。個人的には、あのアホの子のままクッソ強くて迷惑なゴジラをやって欲しかったですけれど、そこまでむちゃくちゃな企画であれだけの大人を動かせないですよね。いや、多分一人くらいいたと思うんですよ。「こいつのまま行ってみませんか?」という人が。でもポシャったんでしょうねぇ。残念です。
 奇しくも進化というキーワードがポケモンと被りましたが、ポケモンでも大体進化前の方が可愛いですよね。なんとか進化せずに可愛いまま強くなってくれないかと思うのですが、なかなかそうもいきません。可愛いと強さは両立しないのでしょうか。ゴジラはあのまんまゴロゴロ転がったりしてるだけでも十分破壊力あったと思いますけれど。それで通常兵器で普通にやられるゴジラでもわたしは大満足しましたけどね。
 もう一つのポイントは、最後の方で転がされたゴジラに馬鹿でかい管みたいの突っ込んでチューチュー液体注入しているところ。病気の犬に薬を飲ませているみたいで、吹きそうになりました。
 いや、あのチューチュー注入部隊の人たちはホンマに勇敢やと思いますよ。それまで無人攻撃機なんかが爆弾落としたりしてるのに、いきなりタンクローリーとかで突撃ですからね。無茶言うなって話ですよ。
 自分なら絶対あんな役イヤや、と思いましたが、考えてみればあの状況ならどっちみち死ぬ確率は結構高いわけです。そこまで追いつめられたら、敢えて志願して名誉の戦死を遂げるのも良いかもしれません。靖国神社に祀ってもらえるかもしれませんし。

 石原さとみについては賛否両論あるでしょうね。わたしは正直要らないと思ったし、普通にアメリカ人のシブい俳優さんとか使って欲しかったですけれど、一緒に見に行った人は「石原さとみのうざい感じがそのまま生きていて良かった」と言っていましたし、あれはあれで良かったのかもしれません。
 全体的に十分面白かったのですが、映画そのものとしては平成ガメラの方がずっと上でしょう。
 いや、繰り返しますが面白かったですよ。こういう映画はもっと作って欲しいです。でもなんというか、他者のない感じというか、「庵野だなぁ」という雰囲気が、個人的趣味としてそれほど好きではないんです。エヴァンゲリオンも楽しみつつも別段ファンではないし、入れ込む気持ちにはなりませんし。
 良くも悪くも閉じた世界ですよね。そこが煮詰まっていくのが庵野作品の良いところなのでしょうけれど、わたしはもっと不条理というか、作り手にとっても理解不能なものが機能している風景の方が好きです。綺麗にまとまっていないもの、というか。バランスが良すぎるんでしょうね。
 大人が沢山絡むとなかなかそんな悠長なことは言っていられないでしょうし、あれだけのものを作り上げた人たちは本当に偉大だと思いますよ。
 でもできればアホの子のままで行って欲しかった。いわゆる「ゴジラ」の形になった途端、それは記号になって、了解可能な文脈に落ちてしまうんですよ。
 進化前のアホなゴジラこそ、本当の意味での不条理、理解しがたい災厄です。
 あんなのが這いつくばった挙句、人びとがなんの意味もなくバラバラにされて死んでいく。究極の不条理のもとに家族が惨殺され、生活が破壊される。それが人生であり、真理というものです。
 もしやっていれば、二度と映画撮らせてもらえないかもしれないけれど、歴史には名を残せたでしょう。もう残ってるから要らないんですかね。

追記:
 これもお約束なので仕方ないですけれど、ゴジラが東京を襲う理由というのが欲しいですよね。
 東京を襲うとより悲劇的なようですが、これがいきなり岩手とか岡山だったら、ある意味一層残酷な風景ができあがったはずです。どう考えたって東京と同じ対応はとらない筈ですからね。そこでまた、見たくもない暗部がむき出しになった筈です。
 岩手壊滅、しかし官邸は決断せず。そういう酷いものが見たかった。