世の中、トクホやら何やら、身体によさ気なアピールしている食べ物が色々ありますね。
当たり前ですけれど、そんなものをガツガツ食べてみたところで、めちゃくちゃ健康になるということはないでしょう。
そもそも「めちゃくちゃ健康」ってのがどんなものなのかもよく分かりません。
病気から健康というのはグラデーション的なもので、大概の人間はちょっと病気でちょっと健康だったりするんでしょう。すごく病気になると、ああこれは病気だ、もう死ぬかもしれない、みたいな感じになって、もっと悪くなると死ぬのですが、反対に健康の方に突き抜けていくとどうなるのか、というのはよくわかりません。どんなに突き抜けても不老不死にはならないでしょうし、健康の追求というのは、あんまり突き詰めると何を目指しているのかわからなくなります。
それはともかく、これだけ世の中に溢れているということは、買う人が結構いるわけです。
一方で、こういう健康食的なものを批判する人たちというのもいます。
批判する人にも二種類いるように思うのですが、一つは上に書いた「健康志向、突き詰めると意味がわからなくなる説」みたいのに則った批判。批判というか、「そんなに頑張ってどうすんの?」「人生、楽しんだらいいんよ」という、テキトー観から、健康食的なものに興味が沸かない、意味がわからない、という考えですね。これはまぁ、よくわかります。
もう一つは、そもそもの健康効果を疑うもので、ニセ科学批判とかとも通底する、科学的というか、「嘘はいけません」的な勢力。この人達の言うことは筋が通っています。多分、statementとして正しいんじゃないかと思います。そして、こういう人たちが声をあげる社会的意義というのも大いにあります。ですが、後述するように、わたし個人としてはちょっと距離をおいて胡散臭げに眺めています。
その辺の理由はちょっとおあずけにして、わたし自身がこういう健康くさいものに対してどう向き合っているかというと、結構好きです。
エネルギーをかけて追求したりは全然する気がないですし、そういう「健康極める勢」については、「突き詰めると意味がわからなくなる勢」的な見方で「アホちゃいますの」と内心思いながら眺めていますが、一方で、大して値段が変わらず、一方が健康くさいアピールをしているなら、そっちを買います。多分、結果としては何も変わらないでしょう。ただ単に、余計に食べることの罪悪感をちょっと和らげてもらうというか、いわゆるギルティフリー食品的な意味で買っているわけです。気分です、気分。
世の中に健康アピール食品が結構あって、なおかつコアな「健康極める勢」がそれほど多いとも思えないので、わたし程度の「できればギルティフリーでイイ気分になりたい」緩い人たちというのがかなりいるのではないかと思います。
で、こういうことを言うと食品会社の人に怒られるかもしれませんが、健康アピールが厳密に言えば正確ではなく、ちょっと嘘だったとしても、まぁ嘘を承知でイイ気持ちにさせてくれならいいですよ、的な流し方をしているわけです。お世辞と一緒ですね。お世辞言われるの、わたしは大好きです。真に受けないですが、好きですよ。
それくらいのレンジの、中くらいの感じというのが、世の中にはそれなりにいると思うのです。というのも、大概の人間は物事徹底して極めるだけの覚悟も能力もありませんから、ちょっと思ってもテキトーなところですぐ諦めるわけです。
ですから、健康っぽい嘘っぽいモノらについて言えば、
①ガチ本気
②嘘絶対ダメ
③嘘だけど気持ちいい嘘ならいいよ
の大雑把に三つくらいのパターンがあって、多分③の幅というのが広いわけですね。
これがニセ科学の悪質なもの、明白な健康被害があるようなものになると、①のガチ勢は結果的に本当にひどい目に合うことがあるので、②の嘘絶対ダメ勢が声をあげることにはカウンター的な意味があるかと思います。ただ、③の気持ちよさだけを求めている嘘も本当も虚実入り交じってテキトーにやりましょう勢からすると、①はクルクルパーで、②は空気読めない雰囲気のない人ら、ということになります。そして②の人からすれば、③のテキトーな人らが不用意に健康くさいものとか、もっと悪質なニセ科学詐欺的なものに対して「まぁいいんじゃねーの」的なことを気軽に言っているのを見ると、地雷踏抜き連鎖爆発的に集中砲火を浴びせて撃沈することになります。こういうのは本当に恐ろしいので、口は災いの元というか、余計なことは言わないのが一番です。
健康くさいものに限らず、世の中の非常に多くのものは虚実入り交じってプロレス的に成り立っているもので、たとえばマンガなどの露骨にフィクショナルなものでも、熱狂的なファンというのがいて、中にはハマりすぎて非常に狭隘な視点で固まってしまう人もいます。フィクションのために人を殴るも殺すも厭わないような人も存在しますし、マンガのキャラが死んだことで本当にグッタリして食事も喉を通らない、という人だっています。①のガチ勢です。
個人的に馴染みが深いものだと、武術とか身体論とかの類も実に胡散臭いというか、虚実入り混じっているところがあり、ガチ本気になっても、丸ごと否定してしまっても、うまいこと付き合ってはいけないのです。
ですから、広い世の中をあっちこっちとさまよっている時、そこで出会う色々なものに対して、自分は①なのか②なのか③なのか、というのを意識しておくことで、楽しくプロレスできる確率というのをあげられるのではないかと思います。そういうのを天性のバランス感覚でやってのけてしまう人もいる、というか、結構多くの人はそれくらいのことができるのですが、そういう人でも変な地雷というか、ハマりどころみたいのがあって、突然ありがたい壺を買ってしまったり、みたいなことはあります。世の中全部プロレスですから、ガチ本気になっても、八百長がどうとか無粋なことを言っても、どっちも不正解でつまらんわけです。
「嘘」を言う側について言えば、普通、嘘というのは嘘なのだから騙せないとイカン、と思われているわけですが、本当のところ、騙しきれないくらいの嘘が一番良い嘘なのです。お世辞の類です。
騙されやすさとか、騙されやすいポイントというのは、人によって違いますから、相手をよく見て、ギリ騙され切らない程度の嘘をつくのが、一番良いプロレスラーです。
ちょっとオンナノコにお世辞を言ったら、コイツが信じられない恋愛音痴でガチ本気のストーカーになられても困るでしょう。かといって、終始無愛想ではレスラー失格です。
人皆、この世界に生きている以上、プロレスの観戦者であると同時に、レスラーでもあるのです。向き不向きというのはありますが、できることなら良きプロレスファンでかつ良きレスラーとして振る舞うよう、つとめていきたいところです。
騙しきれない嘘をつき、騙しきられない程度に気持よく騙されて、進歩なく生きていきたいのです。