アホウドリを追った日本人――一攫千金の夢と南洋進出 (岩波新書) 平岡 昭利 岩波書店 2015-03-21 |
日本最東端の島、南鳥島を知らない日本人はいないだろう。
南と付くのだから元祖鳥島もあるだろう、と思うと、実際鳥島という島はいくつもある。この文脈での鳥島とは、八丈支庁の鳥島のことだ。南鳥島は鳥島から1600キロも南東なので、鳥島の南だから南鳥島というわけではなく、南の方にある「鳥の島」ということで命名されたらしい。
では八丈支庁鳥島や南鳥島における「鳥」とは何かと言えば、アホウドリだ。
しかし今、鳥島周辺のアホウドリは2000羽を越える程度しかいない。これでも保護活動の結果、やっと増えてきた数なのだ。
かつては数十万、数百万と、地面も見えないほどのアホウドリがいたのに、一体どこに消えてしまったのか。
人間、それもほとんど日本人が撲殺したのである。
この本、『アホウドリを追った日本人』は、この日本人によるアホウドリ乱獲の歴史を記した本だ。アホウドリについての最低限の知識は持っていて、現在の状況を作り出したのが乱獲であること、アホウドリが人を恐れず、飛び立つのに助走が必要で容易につかまえられること、羽毛が高く売れるためにほとんどのアホウドリが殴り殺されたことは、知っていた。
しかしアホウドリが乱獲されていたのは19世紀末から20世紀初頭。明治の話だ。酷いことではあるけれど、当時は価値観も異なり、生物資源保全といった思想も希薄で、時代が時代なだけに仕方がなかったのだろう、と思っていた。
だが、本書を読んで考えが変わった。
アホウドリ乱獲は当時から十分に批判されており、アホウドリ絶滅の危険も指摘されていた。要するに密漁だ。どこの領土かも分からない無人島だけではなく、ハワイ諸島内の無人島にも無断で侵入、国際問題にまでなっている。
それも、食うに食わずの漁民などがやむなく密漁に走るというのではない。末端の労働者はそうした貧しい人々ではあるけれど、鳥島などでアホウドリを乱獲した玉置半右衛門などは巨万の富を築いている。
正直、読んでいてこんなに腹の立つ本も久しぶりだった。玉置半右衛門。お前の名は忘れない。申し訳ないけれど、全国の罪なき玉置さんを猜疑の目で見てしまいそうになるほど腸が煮えくり返っている。
もちろん、アホウドリ羽毛輸出によって、いくばくかの富が我が国にもたらされた、ということはあるだろう。また、この羽毛を買い漁った欧米の人々に罪がないわけではない。そして、アホウドリを求めていくつもの無人島が開拓され、それが結果として我が国の領土の礎となったことは事実だろうし、これが現在および未来の海洋資源確保へとつながっている、という面もあると思う。
しかしそれらを全部差し引いても、本書であきらかにされている非道な乱開発は到底認容できるものではない。繰り返すけれど、現代の価値観に照らしてはじめて不法といえる、という話ではない。当時から嘘八百を並べて密漁が行われていたのだ。
玉置が東京府に提出した「鳥島拝借御願書」には、アホウドリの撲殺ばかりをやっていたにもかかわらず、農業・牧畜・漁業などの開拓実績が並べ立てられていた。その後、借地期間満了にともない延長を願い出た時には、様々な開拓実績に加え、ありもしない鳥島開拓図まで添えられている。その地図のなかには、立派な港や住居、小学校まで描かれているが、すべて嘘である。
そしてこの「継続願」提出の一ヶ月前には、小笠原島司の阿利孝太郎が視察に訪れ、開拓十年に至って何ら成果をあげておらず、ただただアホウドリ撲殺だけを行っていたことを目撃し、このままでは数年後には鳥島のアホウドリは絶滅する、と強く非難している。これを受けて東京府内務部でも批判が続出したのだが、玉置が政治力を駆使し、ゴリ押しで借地権を延長、結果アホウドリはほぼ絶滅状態へと陥った。
ことは鳥島に終わらない。アホウドリ資源枯渇を前に、玉置は次の「狩場」を求めて無人島探索へ乗り出す。そして玉置の成功を見た他の実業家たちも、同じように太平洋の島々へ密漁に繰り出す。三重県出身の水谷新六は、幻の島グランパス島を探す過程で偶然マーカス島、現在の南鳥島に上陸。水谷は東京府より借地許可をとりつけるが、その際「今後数十年間捕獲しても減少の心配はない」などと主張している。それでも東京府は捕獲区域などの厳しい制限を課しているから、当初から資源枯渇は予想されていたのだろう。結局、水谷は無計画に乱獲し、四年目にして早くも飛来数が激減している。
一方で、末端の労働者については必ずしも責められるものではないかと思う。彼らは南洋での気楽な暮らしという嘘、高い給与などに釣られて駆りだされた貧しい農民・漁民たちだ。実際には、絶海の孤島での不衛生な環境の中で命を落とす者も少なくなく、鳥島では火山噴火により百人以上が全滅もしている。ある島の「開拓」では三人に一人が死に、他の者も脚気などの病気を患い、健康なまま生き延びた人間はほとんどいなかったようだ。また、羽毛資源を運びだした後、そのまま無人島に置き去りにされる例もあった。
「大卒初任給の倍ほど給料をやるけど、三人に一人が死ぬ仕事」が、到底良い仕事とは思えない。余程切羽詰まっているか、相当の嘘八百にだまされない限り、そんな話には乗らないだろう。
ハワイで拿捕された密漁労働者たちが、裁判の後ほとんど帰国を希望せず、頑としてホノルル移住を希望した、という例がある。日本に戻っても給与も保証されず、また地獄の無人島暮らしにかりだされるくらいなら、ハワイの農園ででも働く方がマシ、という判断だろう。
こうした乱開発と「奴隷労働」の歴史の中で、ちょっと笑ってしまうくらいのエピソードがある。アホウドリ資源が枯渇する中、多くの探検家をかりたてた島に、中ノ鳥島という島がある。別名「ガンジス島」と呼ばれるこの島は、結局存在しなかったことが分かるのだが、1913年には中ノ鳥島開拓のために乗員26名を乗せた帆船が出発している。
この時地理学者の志賀重昂は、さも見てきたかのように「島の高さは9から12メートル、内部は3メートル余り」などと語り、「猛獣もいなければ蛇もいない。雷は聞こえるが、地震も火事もオヤジもおらず、なんの不自由なこともなく、諸君らは実にうらやましい極楽の地に渡ろうとする者である」などと訓話をたれている。しかし当然のことながら中ノ鳥島は発見されず、四ヶ月半後にぼろぼろになって帰港。その時も志賀は無責任で意味不明な弁明を繰り返している。
密漁・乱獲などというと、わたしたちはどこかアフリカか南米の奥地で「未開な人たち」がやっていることのように思うけれど、日本でつい最近まで行われていたことであり、現在もウナギなどはほぼ日本人の食のためだけに絶滅の危機に瀕している。昨今は、「中国の密漁船がやってきて乱獲している」というような報道があるけれど、密漁は中国人の専売特許などではないし、日本人だろうがインド人だろうがドイツ人だろうが、時と状況次第でいかなる非道もおかすというものだ。そういう前提で仕組みを変えていかなければ、アホウドリに続いてウナギやクロマグロも日本人の手で滅び去る日が来てもおかしくない。
何度でも言うけれど、「昔の人はアホだったからわからなかった」とか「未開の人たちは無計画だから」とかいう話では全然ないのだ。リアルタイムで非難の嵐を浴びていても、こういうことが出来てしまう人たちというのはどこの国・民族にでも存在はするのであり、他人事でもなんでもないのだ。
一人でも多くの人にこの本を読んで頂き、二度と過ちを繰り返さないための諌めとして貰いたい。
ついでながら、わたしはかなり鳥好きなので、アホウドリの可愛らしさの余り、多少の贔屓が入っていることは否定しない。現在、アホウドリの保護・繁殖に取り組んでおられる方には本当に頭が下がる。
以前にNHKのドキュメンタリでアホウドリ保護の映像を見たけれど、本当に美しく可愛らしい鳥で、まぁ、あの羽毛が欲しくなってしまう気持ちも分からないでもない。一握りのお金持ちがほんのちょっとだけ拝借するだけだったら、こんなことにはならなかったのかもしれない。ウナギだって、超富裕層がべらぼうなお金を出してたまに頂くだけなら食べてもいいだろう。貧乏人がウナギなんか食うなという話だ。
しかしそれよりも、アホウドリの愛くるしい姿、ディスプレイの時の首を左右に振る姿、あれを映像を通してでも見られる悦びに比べればなんでもないことで、あのふかふかの羽毛も神様がアホウドリのために下さったものだと思っている。