『亜人』桜井画門

 桜井画門さんによる『亜人』。映画にテレビアニメも始まり、盛り上がっている。
 めちゃくちゃミーハーで恥ずかしいのだけれど、個人的な感想をメモしておく。ネタバレを含むので注意。

 確か3巻くらいまで出たところで話題になっているのを聞いて購入、当初はそれほどの魅力を感じなかったけれど、巻を追うごとに面白くなっている気がする。そういえば『進撃の巨人』もそういう印象を受けた。単にわたしが鈍いとか、歳をとって感性が追いつかなくなっているだけな気もするけれど。
 死んでも死なない亜人という存在が人々の中に発生し始め、主人公の永井は公式には日本で三例目の亜人(実際はもっといる)。亜人は人間扱いされず、主人公は権力の手から逃れるために逃走。一方、(表向きは)亜人の権利を訴えて戦う亜人たちが大量虐殺を始める。また、亜人は死なないだけでなく、人によってIBMという目に見えないスタンド的存在を出すことができる。
 と、設定だけ読むとそれほど新しみも感じられない。実際、始まった当初の雰囲気はありがちな少年漫画的展開に見えた。ところが、巻数を重ねるに連れて段々SFチックになり、話もひねくれて面白くなってくる。
 まず、当初単に「自分が亜人だと気づくが、人体実験に使われたくないので逃げる少年」のようだった永井が、段々ゲス野郎、真面目系クズというキャラだと分かってくる。というより、はっきり言ってこの辺は後付けで、一巻までで原作者が降りたことと関係しているのだろう。一見すると頭の切れる「良い子」な永井だけれど、実は自分の保身だけを考え、使える人間は使う、ということらしい。紆余曲折を経て、永井は自分を実験に使った人間サイドの味方をするようになるのだけれど、それも要するに自分の身が可愛いからだ。
 彼らと対立している人間を憎悪している亜人グループ、その中心にいる佐藤も、当初は「亜人の権利を守る」的な口上を述べていたけれど、実は単なるサイコ野郎で、人を殺してスリルを楽しみたいだけだとわかってくる。つまり、クズ対クズの戦いだ。
 おそらく、原作者は設定を考え「特殊な人間と酷い差別」な世界観を立てた上で少年漫画をやりたかったのだろう。一方、現在一人で作画もストーリーも担当されている桜井氏は、もっとSF的な展開を望んでいて、そちらに流れていった、というのが裏事情ではないだろうか。
 この原作者離脱による方針転換のせいで、『亜人』は最初が面白い派と二巻三巻以降が面白い派がいるらしいけれど、わたしは断然後者だ。亜人に対する差別構造もあまりに陳腐で現実味がなく、これだけの話だったら続けて買ってはいなかった。
 永井のクズ設定は(おそらく)後付けなため、そこにもってくる描写に色々無理があるのだけれど、その無理やりさが逆にリアリティを出している。というのも、永井はクズで「合理主義者」と形容されるものの、読者の目からするとそれほど「合理的」でもない。クールで自己中心的な徹底したクズというより、単純に倫理観が欠落して、表面的な人格しか備えていない、ボーダー的キャラクターに見える。彼が「合理的」なのは、彼自身が「合理的」だと思っていない部分でだ。「悪人」というより、人格上の欠落があるようなタイプで、神経症というよりは精神病の型に近い。
 一般に言う「悪人」「ワル」タイプというのは、まだ一話しか登場していないコトブキくんのようなタイプだ。彼もまた亜人なのだけれど、少年院に収監されている。ことを荒立てても面倒になるだけだ、と自分を出さず、他人と一定の距離をおいて合理的に振る舞おうとしている。しかし佐藤のアジテーションに感化されて少年院を脱走したり、自分をかばう海斗についほだされて守ってしまったり、人間らしい側面を備えている。クールに振る舞ってはいるけれど、割と伝統的な「不良」キャラでしかない。無理に分類するなら神経症タイプ。ちょっとワルかもしれないけれど、人間の枠に収まっている。
 あるいはまた、佐藤に救出された公式には「国内二例目」の亜人である田中も、このタイプと言える。彼はもともと平凡な青年だったらしいけれど、亜人だとわかったことから残虐極まりない人体実験に使われ、後に佐藤に救い出され、人間をひどく恨んでいる。これは傍目にも「かわいそう」な人であって、彼が人間を憎悪するのもまったくもって当然の成り行きだ。また、佐藤らと行動を共にしている時の言動を見ると、根はまともで、無軌道な虐殺自体を喜ぶような風はない。あくまで復讐、正義のために行動しているように見える(個人的には、この後、田中の寝返りがあるのではないかと予想している)。
 作中、本当に狂っているのは佐藤と永井だが、佐藤については物語上計算して「サイコ野郎」として描写しているのに対し、永井については制作上の都合などに振り回され、おそらく作者自身の意図を越えたところで、理解を越える「静かに狂った人間」になっている。そこが非常に面白い。一歩間違えば完全に物語が破綻しているところで、ギリギリ成り立っているようなスリルがある。

 この永井の破綻寸前な描写が一番のポイントだと思うが、もちろん、一般的な活劇としての道具立ても面白い。
 設定自体は陳腐なところもあるが、やはりスタンド的存在のIBMが面白い。これが意のままにコントロールできるのではなく、「ラジコン操作というより犬に命令する感じ」というのがポイントで、永井などはまったく自分のIBMを制御できていない。
 また、IBMの造形もユニークで、包帯を巻かれたミイラかゾンビのような雰囲気も魅力的だ。これも人により造形が異なり、コトブキくんのIBMなどは翼が生えている。
 亜人は「死なない」存在ではあるけれど、冷静に考えれば、それだけであれば捕獲して管理下におくのは難しい話ではない。刑務所にいる人間だって、別に「死ぬ」人間だから逃げられないわけではなく、死のうが死ぬまいが逃げられないものは逃げられない。別に怪力があるわけでもない。亜人の声には金縛り効果のようなものがあり、叫び声をあげることで周囲の人間の動きを一瞬止めることができるのだけれど、そんなものは大した能力ではない。実際、劇中でも亜人は麻酔銃やモリのようなものを発射する銃で捕まえられている。他にも網とか落とし穴で普通に捕獲できる。
 問題はIBMだけれど、IBMはすべての亜人が使えるわけではなく、また一日に出せる数も限られていて、十分か十五分程度しかもたないらしい(永井のは少し別格のようだ)。それも目に見えないだけで、身体能力も「火事場の馬鹿力」とのことだから人間+アルファ程度。コトブキのIBMは例外的に空を飛べるようだけれど、別にビームか何かで人を焼き殺せるわけでもない。また、雨が降ると「持ち主」との通信が悪くなるらしい。網でもかけて放水しながらボコボコにしてコンクリで固めたりすれば、人間に捕まえられないようなものではない。実際、佐藤に反抗した何人かの亜人は、ドラム缶づめにされて生きたまま(死ねないのだけれど)監禁されているようだ。
 亜人の「死なない」設定自体に新しみはないけれど、この作品の面白いところは、それがむしろ「死ねない」というマイナスの特性になって、拷問や残虐な監禁方法に活かされているところだ。この辺、実にSF的で、桜井氏のサディスティックな想像力がいかんなく発揮されているように思う。少年誌だったらあり得ない描写ばかりだ。
 『亜人』の魅力は、こうしたディテール部分にあって、物語全体としては、それほど計画的には進んでいないように見える。おそらく桜井氏の嗜好や意図が、ディテールの表現に偏っていて、物語展開的なところは少し行き当たりばったりな面があるのだろう。それでも十分に面白い。
 現在の最新話あたりでは、「人間側(三人の亜人を含む)vs佐藤グループ」という構図に比較的収斂してきていて、物語がシンプルになってきた分、描写のトリッキーさなどで存分に暴れられる場面ではないかと思う。もちろん、このまま一方的勝利に流れるような話でもないので、完全決着に至らないながらも佐藤の無双で人間側が押され、再び永井が窮地に陥る展開となるだろう。というより、そうでないと、海斗やコトブキなどの物語背面に回っているキャラクターの出番がない(笑)。
 ちなみに、海斗というキャラクターは、おそらく原作者の発案で、桜井氏としては本意ではなかったのではないだろうか。当初の構図は「亜人と分かってしまった少年、それを追い詰める差別、差別しない人間の友人」という少年漫画的構造だったため、海斗というキャラクターが必要だった。しかし原作者離脱後の桜井氏にとっては海斗はむしろ邪魔なキャラクターで、しかも序盤であれだけ重要な働きをした以上、このままフェイドアウトさせるわけにもいかない。コトブキの登場する少年院で、久しぶりに描かれはしたのだけれど、この後どこでどのように再登場し消化するのか、色々計算している最中ではないかと思う。
 一つ展開上不安なのは、佐藤に味方が少なすぎることだ。
 現在のバトルでは人間側に三人、佐藤側に五人の亜人がいるので、亜人の数では佐藤サイドが優っているわけだけれど、現時点でどちらの陣営にも属していない既に登場した亜人たちについて考えると、誰一人として佐藤サイドに付きそうな人がいない。つまり、佐藤の味方は現時点がマックスで、以降は減るばかりになる。人間に捕獲される者もいるし、寝返る者もいるかもしれない。そうなると、いかに佐藤が超人的な戦闘能力の持ち主とはいえ、バトル描写的に苦しくなってくるのではないか。もう少し「やられ役」の敵亜人を作る、そのために佐藤サイドにもうちょっと求心力をつけておいた方が良いように思う。

 劇場版第一作のアニメも見たのだけれど、これも思っていたよりずっと良い印象を受けた。
 フルCG作品ということで身構えていたのだけれど、『シドニアの騎士』あたりからキャラクターのCG描写も大分見られる感じになってきた。個人的にCG臭さはとりわけキライなのだけれど、キャラクターが妙にゆらゆらしてじっと立っていられないこと以外、それほど違和感なく見ていられる。
 もちろん、人間以外の描写は申し分なく、特に動くIBMの映像は非常によく出来ていた。
 また、ちょっと意外だったのが海斗が妙にイケメンになっていたことだ。原作だといかにも少年漫画なイイヤツキャラで、ちょっとウザいところもあったのだけれど、なんだか普通に正義感溢れる頼りがいのあるイケメンとして描かれていた。この方が永井のクズぶりが際立って良いのかもしれない。
 あり得ないと思うけれど、海斗が再登場してかつ永井に対立するような展開になったら素晴らしい。海斗は永井を「絶対に裏切らない」キャラなのだけれど、映画版の描写だと、永井への友情もさることながら、それ以前に人としてまっすぐ通ったものがある。その点、佐藤に監禁されてしまった消防士さんにも通じるものがある。ということは、永井のクズぶりが露見した時に、正義のために永井を捨てる、という可能性もゼロではないように思う。まぁさすがにないだろうけれど、そんな展開になったら伝説的マンガとして残るだろう。