info@flipmailer.comからのスパムメール

 info@flipmailer.comからのスパムメールが来ました。

20150908meiwaku2.png

*****@hotmail.com
友達リクエストを申請します
-******@hotmail.com
承認する
辞退する
ここをクリックすると、*****@hotmail.com やすべての友達からのメー>ルの配信を停止します

 という文面です(使われたメールアドレスは*で加工してあります)。
 このhotmailのアドレスは多分どこかから抜かれてきただけ(の被害者)のもので、クリックしてしまうと*ttp://invites flipmailer com(.を抜いてあります)に飛ばされるようです。
 Google APIsを利用して、Gmailのアドレス帳や連絡先情報からメールアドレス等を収集するものらしいです。
 これは悪質なスパムなので絶対にクリックしてはいけないのですが、送られてきた(利用された)hotmailのアドレスでググってみたところ、偶然にも何だかグッとくるページにヒットしてしまいました。
 ヒット件数が非常に少なかったのですが、その一つがこれ。
次回読書会日時のお知らせです。

このところ、東京の地から拝見していても、失礼ながら、主知的と言いますか、字義解釈の森のなかをさまよっている感がありましたので、今回のテーマは非常によろしいのではないかと愚考いたします。がんというのは、私の体験から申せば(14年くらい前に、大腸がんの手術をしました)、「がんは死のメタファーなのではない。がんは、いやおうな、死そのものを私たちにつきつけるものであり、逆に、そこまでの生の残り時間、多少象徴的に言えば、生の残り時間を提示することによっていままでの生全体の再点検を迫る」という印象がありました。ちょっとわかりにくい言い方で申し訳ありませんが、がん宣告までは、私は、「生も死も、一種のファンタジー」という状態を生きてきたのだと痛感させられました。 個人的に言えば、私は、私にひどいことをした人たちを、「いつかわかるさ」と思い、赦してきたということがあります。ところが、「おまえは、がんだ」と言われたことで、「いつかはないかもしれない」と初めて理解したのでした。これは、けっこう、慄然とした経験でした。これが、「がんだ」と言われる前は、「生も死も、一種のファンタジー」と申し上げた理由です。これは、私の実体験ですから、多少なりと、皆さまのお考えのヒントになるかもしれません。それでは。

 ただのスパムから派生して、こんな深い文章に出会ってしまうのも、なんとも人生の妙です。