「オモコロ」などで連載されているどろりさんの単行本『あの子と遊んじゃいけません』を買いました。
あの子と遊んじゃいけません (エヌ・オー・コミックス) どろり 小学館 2016-07-26 |
この本について何か書こうとしたのですが、何を書いて良いやらさっぱりわかりません。わたしはちびっ子の頃、感想文の鬼だったくらいなので、「木を切るな」とか「親孝行しろ」みたいなクソしょうもない本であったとしても無理やり屁理屈を付けてもっともらしい「感想」を書くのは割と得意な方なのですが、どこから手をつけて良いものやらよくわからなくなっています。まったく余談ですが、あの頃ウチの書いたもっともらしい感想文に騙された大人たち、ざまあみろ! バーカ!
そもそもこの『あの子と遊んじゃいけません』を買ったのは、「え、本出すんや!」という驚きからでした。どろりさんは明らかに他に替えがたい不気味な才能を持った凄い人なのですが、いかにも「お金にならない天才」という感じがしていたので、単行本を出すまでこぎつけたことに驚くと共に、微力ながら一冊購入するくらいの応援をしないわけにはイカン、と思ったのです。とか言ってると、結構あれよあれよという間にメジャーになってしまって、もう応援も要らなくなるかもしれませんが、それはそれでめでたいことなので良しとします。
それはともかく、昔だったら『ガロ』とか『クイックジャパン』とかで活躍していそうな作品群で、いかにもテキトーな解釈をつけて読解したくなる空気を醸し出しているものの、時代からしてそういう小賢しさというものを突き抜けていて、またわたし自身も年齢的にいい加減そうしたテキストがアホらしくなってもいるのです。そういうわけで、「この作品のコレとコレはほにゃららを象徴している!」系の胡散臭い話はちょっと始める元気がないのです。
いや、そういう胡散臭い話がダメだと言っているんじゃないんですよ。そういう胡散臭い話で食べている人たちというのがいて、小賢しいガキどもは胡散臭い話を読んで大人になるのです。それでいいんですよ。ただわたし個人がもう飽きちゃったというだけなんです。
これは想像ですけれど、どろりさん自身、そういう胡散臭い話、つまり世の中のことにわかりやすい解釈格子をかまして分析して見せるやり口とか、そういうものの誘惑を割と強く受ける人で、それでいて同時に、その手の話のカッコ悪さ、分かった感のつまらなさ、身も蓋もなさというのをよくよく理解していて、その間でさんざんこじらせた挙句が、この作風になっているのではないでしょうか。まぁ知らないですけど。
と、色々言い訳しましたが、個人的には『絶頂』の「ごきげんよう」のサイコロネタなどは安心して読めるもの、そしてツボに来るのは「痩せたハムスターの顔」といった表象ですね。これも多分、まず最初に「痩せたハムスターの顔」が出てきてしまって、もう「痩せたハムスターの顔」でなにか描かないではいられない、そこに特に意味はない、という感じがたまらないのです。まぁ知らないですけど。
そしてこれだけ迂回した挙句、面白くないことを言うのですが、この作品群に通底していて素晴らしいといえるのは、いかにも何かのメッセージを発していて、何らからの教訓めいたものが得らそうな状況でありながら、一切何も教訓もメッセージもない、ということですね。これは本当に大事なことで、人生には色んなことが起こって、そこから学んだり進歩したりするように見えることが色々あるわけですが、実際のところ明日に活かせる教訓などというものは何もないのです。「学んで活かす」などというのは、肛門的・ホメオスタシス的なわたしたちの執着が生み出したファンタジーであって、明日には明日の風が吹き、永劫回帰、すべては一に過ぎません。
「学んで活かす」汚ねえオヤジを皆殺しにしたい。テメーのケツの穴のことなど知るか。しかしそういう汚さが自分自身の中にもある。クソが!
そういう殺意というのを、わたしは二十四時間三百六十五日ずっと抱いてますけど、どろりさんはいかがですか?