腹が伸びてしまうとどうにもならないのだけれど、伸びてしまいがち。大体打った時に伸びる。形ができたら動作に表し、速い動きも混ぜて伸びないように確認する。自分の間違えがちな場所を把握する。
腹が伸びないようにしようとして臀部が出てしまうことがある。骨盤は立てて良いけれど臀部と大腿裏の接続が切れると「へっぴり腰」になる。仙骨の角度に注意すること(臀部のみが掃除機で吸われている)。
同時に胸骨の帯びる力の方向を見る。これが腹と一体になって操作できていること。
これらが守れている前提で歩法がある。足の置かれる位置がすべて予め決まっていること。股の割れた涼しい感じがないといけない。大きな動作で確認すること。
つながった動作、全身をゴム塊として使う操作は動作が重くなる。遅くならないよう、身体の中心が先手先手で動くように。数ミリ秒先を中心が動くこと。これがないと緊急避難で末端が動き、総崩れになってしまう。組手になると先祖返り、という悪例になる。
仙腸関節付近二点を起点とする。足は動かない。この二点を開こうとすれば腹の底が折りたたまれる感覚があり、内腿は締まる。仙腸関節付近の二点だけを操作する。強いていえば、これに加えて、肩がなくなり脇から高く掲げられた腕が覆いかぶさる感覚を維持する。
引く動作とまったく同じ原理で押す、打つことができること。引いてから押すのではない。両者ともこの二点を起点とし踏む感覚がある。
発力においてこの二点が起点になるのは間違いないが、発力以前から常に接続し振動する状態を維持すること。接触し続けての稽古、離れての打撃、組手、すべての中で振動状態を維持していることを確認すること。
足に「まったく」意識がなくても、仙腸関節付近二点の操作のみで歩法が可能であること。引き抜くように寄せ、差し込むように置く。
末端から「完全に」意識を抜き、なおかつ手足が自動で動く状態を理想とすること。
お尻は二つある。ほとんどの人が一つしか使っていない。二つのお尻を一つとして使っているか、片方使うと片方死んでいる。
抵抗があるから形がある。
抵抗がわからなければ始まらないが、その抵抗の隙間を抜けていく感覚を掴んだとしても、粘ってうまくいかない時がある。
陰圧を埋めるように隙間に残りの身体が入る感覚。親指の方向、手の開き、手首の外側への角度などに注意すること。
また反動を使う動きもいけない。状態Aから状態Bに遷移するとして、AとBはできていても間を勢いでやってしまう、あるいはBについてから余力があって行き過ぎる、ということがある。また、身体の力を使うことを意識しすぎて反動をつけてしまうことがある。そうなると、もう抵抗の隙間は抜けない。外形的にはむしろ手だけでやっているように見えること。踏む力だけ。
ちょっとした変化を使う。力が釣り合ったところから微妙にずらして様子を見る。
後ろ足の方に引く。大きく下がり浮いた足を寄せる。この時、相手の身体を相手を少し開く。少し開かれただけで極端に動きにくくなる。
相手を動かして相手の陰圧になったところに自分の身体を入れてやる感覚。
師匠の兄弟弟子、この道では知られた先生が、稽古を付ける前に一旦しゃがむ動作をよくする。それを真似しているのか、先輩でやる人もいる。足でも疲れているのかと思っていたけれど、あれは蹲踞だ。先輩はともかく、叔父さん先生はあの状態で定点を作って整えているのだろう。