知っている人と話すのは難しい

知らない人と話すのはかなり好きな方で、散歩していても極力地元の人と会話するようにしてるのだけれど、知っている人と話すのは難しい。
何を言っているんだこいつは、と思われるかもしれないけれど、そういう人は結構多いのではないか。初対面なら話せるけれど、継続的関係をもっていくのが苦手、という人。
「知っている人」の難しさというのは、一つには距離ということがあって、ある程度知った仲だと、その場のノリでテキトーなことを言ってはいけないとか、調子に乗って踏み込み過ぎてはいけないとか、そういうポイントから来るものがある。
もう一つ、これが重要だと思うのだけれど、「共通の知人」の有無だ。「共通の知人」問題についてはよく考えている。人というものを理解するうえでキー概念になる、くらいに思っている。
通りすがりの人などには、共通の知人がいない。
一方、職場の同僚とか、なにかの集まりの一人などには、共通の知人がいる。こちらの方が、人類史的に見ても圧倒的にまともな関係だ。
人類は元々、全然知らない人といきなり話したりはしない。知らない人なんて基本いない世界で暮らしていたはずだ。ばったり山の中で出会ったら結構な確率でそれは敵だ。
都市の規模が大きくなって、初めて知らない人がたくさんいる状況ができた。ちょっと話がズレるけど、その初期の段階では逆に、知らない人とバンバン話す状況があった筈だ。今でもカイロなんかで暮らしていると知らない人と普通に話す。ヨーロッパの大都市なんかでも、割と気安く他人と話す。「基本スルー」が徹底している東京なんかの方がむしろ例外的だろう。

①知らない人なんかいない
②知らない人もいるけど、知っている人であるかのように扱う
③知らない人は無視する。知ってる人としか話さない

みたいな変化があって、東京圏に住んでいると③が当たり前だと思っているけれど、人類史のほとんどにおいて多くの人類は①で過ごして、都市が形成されて以降の都市民の大多数は②で過ごしてきただろう(だから②に割合に近いわたしは正常な都市民だ!とも言いたいのだけど、その話はおいておく)。

話を戻すと、わたしたちは、紹介であるとか、なんとなくグループでわらわらいるうちに知り合ったりとか、場合によってはそもそも会う前からお互い、または一方的に「知って」いる。「ああ~、○○さんのお友達の○○さんですよね、お話は伺っていますぅ~」みたいな状況は割とよくあるだろう(この関係が重要!)。
共通の知人のある関係では、テキトーなことは言えない。その場のノリで不正確なこととか嘘などを言えばすぐバレる。あんまりキャラを変えることもできない。
通りすがりとか初対面ならある程度勢いでごまかせるし、二度と会わないような人なら、その場の雰囲気が一番和むようにキャラを作ったっていい。
当然ながら、共通の知人のある関係と話す、つまり知っている人と話す能力の方が断然重要である。
はじめての人に対して多少緊張するのは当たり前。人見知りくらいで丁度だ。ホイホイ話せる方がちょっとヤバいヤツの率が高い。ソースはわたし。

彼氏彼女なんかも、共通の知人がいる関係の方が断然まともだし社会に接続されている。
でも共通の知人が(あまり)いない関係の方が、なんかロマンチックな気がする。しませんか? しますよねぇ?

知っている人と仲良くするのは当たり前に大切で、わたしのような人格破綻者は鋭意努力して適応すべきではあるのだけど、知らない人の妖しさ、知らない人と話している自分の醸すドライブ感みたいなものは、やはりなかなか捨てがたい。いや捨てろよ、という話ではあるのだけど。
前者がホメオスタシスなら後者は死の欲動。
昔の不良少年が単車で峠攻めたりするヤツね。
攻めたいでしょ、やっぱ。
死ぬけどね。