相手の押し込む動作、あるいは打撃を受ける場合、まず
①押し切られてしまう
のが話にならないのは言うまでもない。バカの一つ覚えみたいに脱力だの「相手の力を利用する」だの言っているお稽古護身術が実用に供しないのはそういうことだろう。
まずは中心の力を中心でまともに受けられないといけない。その上で
②空間を保ったままガチンと受ける
が出てくるが、これだけだと自分の空間が保たれるが相手の空間も削られていない。体重に任せて預けるように圧をかけてこられると、体格に劣る側はついこれをやってしまいたくなるが、元が劣勢なのだから立場は逆転しない。しかも腕が痛い。
そこで、
③相手の押し込みに対してこちらを預けて動く
と、さしあたってインパクトは吸収できるが、非常に危険である。自分が単なる「荷物」になってしまった瞬間に人は死ぬ。寄っかかってくる人間を料理するのは造作もないことだろう。
一方で、
④腕で受け流す
をやってしまうと、自分の内部のバランスが崩れる。それが保てても空間がなくなる。しかもこれだと、思ったほど相手は崩れてくれない。受け流して転がしてやろうとしたのに相手が崩れてくれないのは大体このパターンだと思う。「体重差があるから」「パワーが違うから」と思いがちだが、そういう問題ではない。自分の見る風景と相手の見る風景が違うことを胸に刻まないといけない。
そこではじめて、
⑤末端において相手の動作を無化するが、同時に身体の整合性を保つ
という動きが出てくる。言葉にしてしまうと実に簡単で、やっている人間は大抵知っているのだが、実行するのはとても難しい。これをやろうとして、結果①みたいになってしまうことがままある。
無化すると言っても預けて無化するのではなく、積極的に相殺していく。自立自存のまま、こちらの意志と制御の元に結果相殺しないといけない。その時、末端と身体の接続が切れない。全身が一つのゴムの塊のように動く。すると、感覚的には一人稽古のようになるのだが、結果、相手は意外と崩れてくれる。特に「決めに来た」相手は体重を預けがちなのでわかりやすい。体格で劣る側からすると怖い瞬間なので度胸がいるが、何事もピンチはチャンスだと思う。
相手からするとトリモチでくっつけられたような感覚になるはずだ。と思うが、自分でこのレベルがまだよくコントロールできないのでわからない。
相手が接続された強い力を出してこない時は、こちらから仕掛けて相手の力を引き出す(受けられない人間はそのまま潰せばいい)。中心と繋がった力を引き出せたら、その段階で⑤を出す。
強い人は大抵、簡単に力を出してこない。出すと逆に飲み込まれる危険があることを知っているから、必要最小限でやってくる。だから仕掛ける必要があって、これもピンチではあるのだが、虎穴に入らずんば虎子を得ず。

このトリモチ感というのはやられた人間にしかわからない。何人かの先輩にかけられて、それが今自分が稽古を続けている大きな原動力の一つになっている。
自分の手が相手の手の下にあってコントロールされるのはまだわかるが、自分が上でいつでも手を離せるのに、手が離せなくなる。手と言っても、握っても掴んでもいない。単に前腕同士が軽く触れているだけだ。なのに離せない。そのまま釣り上げられて投げられる。転がされる。
これは本当に恐ろしい力で、魔法にでもかけられたような気分になる。

よしこ画伯

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