今まで「合言葉」的なものについては何度か書いています。身体がハマった状態に入る、保つためのキーになるものです。
まずできないといけない
やってみなければ運命も何もない
お尻伸ばしと四股でハマった状態に即入する
このハマった状態、調子が良い状態というのは、なってみれば一発でわかりますが、なってないとわかりません。そのゾーン的なものがわかっている前提で、そこに入れるかどうか、ということなのですが、様々な練習法からヨガやら気功やら食べ物まで試していて、ちょっと前に四股のことも触れたのですが、最近「良いな」と思うことの一つは、腰枕。
寝る時に腰から背中にかけて薄い枕を入れておくのです。
こんなものがどうして?と思うでしょうしわたしも思いますが、わたしの場合、調子が良い時は起きた時からずっと良いし、悪い時はなにをやっても駄目なのです。寝方になにか問題があるのでは?とも考えます。
別に腰枕専用のものではなく、普通の低反発枕を入れているだけで、何ならタオルを丸めたのでも良いと思うのですが、割と調子が良いようです。
ちなみにわたしは普通の枕は使わず、タオルを丸めたものを首の下に入れるだけにしています。高い枕はストレートネックを悪化させるし顔が前に倒れた状態は気道が塞がれるのであまりよろしくないのでは、と考えています。軽く首が反るくらいの方が良いでしょう(反りすぎたり首にピンポイントで力が加わるのは絶対NGです、あくまでやんわりと)。
腰枕が良いのでは、と思ったのは、子供の頃のわたしはあまり姿勢が良くなく胸が凹んだ格好をしていて、これを訓練で治していった経緯があるので、油断しているとついつい首が前に出てクタンとした姿勢になってしまうのです。寝ている時は腰よりお尻の方が出っ張っていますから、重力に負けて背中が落ち込み胸が凹んだ状態になりがちです。そこで腰から背中を少し持ち上げてキープしてあげる方が楽なのでは、と考えました。
これも厳密なものではないですし、高い腰枕は逆に背中を痛めることになるので慎重にやって頂きたいです。まずはタオルを丸めたのくらいで実験されると良いと思います。
もう一つ、体操的なもので昔からやっていることですが、説明の仕方がわかりません。
①座って足の裏をあわせて腰を回す(左右両方)
②座って膝を立てた状態で両膝を左右に順番にパタンパタンと倒す
たぶん正式な名前があると思うのですが、わたしは胴体力の練習で知りました。
なんということのない動作ですが、長く続けていると奥が深いことがわかります。どちらも脚や末端でやらず、中の力が順に伝達されるのをはっきり感じないといけません。
わたしはやり過ぎてなんとも思わなくなっていたのですが、身近な人にやらせたところびっくりするくらいできていなくて、練習法としての良さを再確認したところです。
この動作で左右に体重がはっきり移り変わるのを感じないといけません。武術的には、じわじわではなく瞬間にパッと切り替えられるポイントを見極めるべきです。
体重移動というと簡単なようですが、ほとんどの人が体重を移し切るということができていません。はっきり感じられない人は、なにか自分にできていないことがあるのだ、という信念をもって探した方が良いと思います(そういう確信が得られることが師を持つことの良さでもある)。
ちなみに胴体力などでも行う左右に身体を捻る動作、完全に脱力してプランプランやるのも一つの練習なのですが、中心の力が伝達されるのを明白に感じながらやるのも有効です。この時、一般的なイメージでは真ん中に軸があってただくるくる回っているのですが、体重が左右にきちんと移ると、回転しながら軸自体が移動していることがわかります。はっきりどこからどこに移ってどう回っているのか感じるようにしてみましょう。
最近わたしが特に気をつけている合言葉は、最小限のものとして、
・臀部の緊張感
・睥睨するような、関係ない感じの目から胸骨の斜め上への力、背中と腰のつながりを作る
・歩法において足を寄せること、寄せた力の延長で足を出す、寄せた状態を基本とする(沼から引き抜くように)
でしょうか。あまり多くなると余計な頭を使ってしまうので、合言葉を確かめたら後は自動操縦に任せる感じです。
それにしても、ここで言うハマった状態(名前はなんでも良いです)、調子が良い状態というのは、一般的に言う「体調が良い」とは全然違います。体調が最悪でも調子が良い時はありますし、逆もあります。どういう関係なのかさっぱりわかりません。
わたしの先生の先生は八十過ぎて体調がすぐれず寝込んでいる時でも、弟子が来ると起き出して「さあ稽古しよう」とシャキッとしたそうですが、そういうものかと思います。それはそれ、これはこれです。
逆に言えばこんなことをいくら練習しても健康長寿とは限らないでしょう。そう謳っているのは商売用の文句です。それで全然構わないと思います。まあ、健康長寿に越したことはないでしょうが、健康のために生きているわけではありませんし、何なら生きるとか死ぬとかどうでもいいです。