相手の腕に滑らせながら打つ。ただしこれを動作としてやろうとすると、逆に相手の腕が滑り込む。状態でできないといけないが、状態を動作に展開する方法をよく考えること。
 踏み蹴りの形に向かう動作が、その蹴り足を後ろ足とした発力の動作と同じであること。股関節の角度をよく見ること。
 低い姿勢から腹がさらに一段中に納まる感じ。股の下が涼しく大腿に内旋方向の力が加わり、内腿と状態が連動する。肚と胸が一体となり一段前に出る感じ。高くかざした腕が背から脇を通じてつながる。
 この時一歩踏み出す足の位置が最初から決まっていること。強く引き抜いた足を途切れない状態のまま一箇所に置けること。大きい動作で確認すること。
 小さい動作をいざという時だけ大きくすることはできない。大きいものを小さくまとめ、その上でもう一度大きくする。

 追いすがって斬る、ということを考えています。
 別に斬らないでもいいんですけれど。
 いわゆるスポーツ格闘技的な文脈では、ほとんどの技術は相手の攻撃を防御するから、さもなければ「やる気のある」相手を倒すことを目的としています。相手はこっちを倒そうとしていて、そういう「やる気のある」相手を倒す、ということです。別にカウンター等に限局するわけではありません。
 また護身術的な文脈では、こっちはさほど「やる気がある」わけではないけれど、向こうに「やる気がある」状態で、それを防ぎ逆襲する、少なくとも逃げるだけの時間を稼ぐ、ということに主眼が置かれているのでしょう(名目上は)。
 いずれにしても、全然「やる気のある」相手でないのに、逃げ惑うところをわざわざ追いかけて行ってボコボコにする、というのはあまりない想定ではないかと思います。
 そんなひどいことする必要ないではないか、というのはもっともなのですが、狭義の格闘技的文脈でも逃げに回った相手を回復させない内に追いすがって仕留める、という要求はありますし、武術的に言うなら、かつてはそういう、一方的な攻撃というのは珍しくもなかったのではないかと思います。
 たとえば四十七士討ち入りみたいな状況で、敵討ちのために殺しにいかなければいけないのですが、そこで斬られる「一族郎党」は必ずしも戦いたいわけではありません。「やる気がある」ある人たちばかりではなかったでしょう。だからといって逃げるに任せては敵討ちになりませんので、そこは命乞いをしながら逃げ惑う相手に追いすがって斬らないといけません。
 これは言うのは簡単ですが、意外と難しいことです。
 追おうと思って追えるか?というのを自問し確認するのは良い稽古になるようにも思います。

 もう少し狭く、格闘技的文脈だけを考えても、引いた相手を追っていって打つ、という程度のことはよくあります。五メートルも六メートルも追いかけるわけではありませんが、一歩二歩くらいの間を追いすがって仕留める、そこで追いすがれれば仕留められる、という状況は結構多いでしょう。
 これも追えない。プロの選手を見ていても、「おい、今! 追えよ!」という場面はありますよね。でも追えない。言うのは簡単ですが、いざとなると結構追えません。
 それは端的に、追う練習をしていないということで、それでもできる人はできるのですが、できない人はできない。
 足が出る人というのは、始めから追う状態に身体がなっているのですよね。
 武術的な歩法を考える上でヒントになるのではないでしょうか。足の置かれる場所が最初から決まっていて、身体が常にそこへ向けて動いている、動きつつある、という。
 実際に追うかどうかというのは別として、この状態が何なのかはよく研究する値打ちがあると思います。 

よしこ画伯

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