仙腸関節、とか言っても一般の方はそれがどこにあるのかもピンと来ないかもしれません。仙骨と腸骨の関節ですね。
 これだけではないですけれど、仙腸関節というのも武術やらボディワークやらの文脈ではよく登場しますよね。
 まぁ、胡散臭い(笑)。
 解剖学的には仙腸関節はほとんど痕跡化していて動かない、ということになっているようです。「死んだら動かないけど生きてる間は動く」とか「普通の人は動かないけど訓練すれば動く」とか色々仰る方もいらっしゃいますが、物理でこれが動くかどうかはとりあえず置いておきます。
 まさにこの、「置いておきます」ということが言いたいのですけれど、仙腸関節が解剖学的にどうかということはともかく、そう言いたくなる身体操作というのは、たしかに存在します。
 「あ、コレか!仙腸関節が動いてなかった!ここをハメて張りをもたせることで……」みたいな感覚。長いこときちんと練習されている方ならわかると思います。
 いかにもこれ、仙腸関節っぽい感じなんですけど、それが本当に仙腸関節かどうか何かはどうでもいい。「どうでもよくない!」と物理で仙腸関節を強調しすぎると、それはオカルトですよ。だからといって、その感覚がないわけでもない。確かにあるし、名指したくなる。そういう状態が重要なのです。そこを物理で基礎づけないでも心揺らがない、その状態です。
 走り幅跳びか何かの選手が助走の時の感覚を「空き缶を上からペシャンと踏み潰す感じ」みたいに語っておられたのですが、空き缶を潰すなら真上から踏むわけで、本当にそういう動作をしていたら前に進みません。でもそういう感じがするんでしょう。そういう主観が大事。
 逆に解剖学的に正しい説明なんかされたって、人は「まず大腿四頭筋を緊張させ」とかそういう風に身体を操っているわけではないですから、役に立ちません。
 なまじ解剖学的な実体があると思うから惑わされるのです。
 多分、気とかチャクラとかもそういうもので、物理的対応物を求めるとオカルトになりますが、そう言いたくなる、そうでも言わないと伝わらない何かというのは確実にあって、目には見えないけど「師匠は今そういう感じなんだな」と強く信じることが非常に大切でしょう。言葉とか信頼とかそういう次元の問題。
 大衆化した脳科学みたいなものが流行って、脳内物質だかシナプスだかそんな対応物が見つけられれば何か言ってやれた気になる人たちがいらっしゃいますが、対応関係を見つけてそれが何なのでしょう。どこまでも言葉と関係性の問題でしかないですよ。他人の脳みそだけ気にしているならそれでも良いですけれど。

 それはともかく、仙腸関節、わたしは気にしてますよ。
 内旋外旋内転外転とも違う、股関節のハメと張りみたいのって、ここがキーになると思うので。
 で、そういう話はわかる人だけわかればいいんです。言葉なんて、わかる人はわかってわからない人はわからないの。動物が聞いたってわからないでしょ。別にモノと一対一対応しているわけでもなし、関係性の問題なんですから。
 後のことは、グダグダ言わずにただやればよろしい。
 でも喋るの好きだからつい喋っちゃうんですけどね~。

よしこ画伯

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よしこ画伯

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