高橋ツトム先生の『爆音列島』を3巻まで読んだのですが、絵のカッコ良さに加え80年代初期の重苦しさ荒々しさがのしかかるようにリアルで少し怖くすらなりました。作者自らガチで族だったのですね。観察力・記憶力が尋常じゃありません。知り合いの女の子がサビサビのフォア乗っててカッコ良かったの思い出しました。
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そう思って考えたら、『BLACK-BOX』も高橋ツトム先生ですね。皆んな断片的にしか読んでないのですが、全部好きです。この美意識が非常にしっくり来ます。こういう生き方したいと思ってました。
で、たまたま最近、同じく80年代ものの島本和彦先生の『アオイホノオ』の続きも少し読んでいたのですよ。
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島本和彦先生は1961年産まれ、1965年産まれの高橋ツトム先生より4つ年上です。そして『爆音列島』が中3の場面から始まり、『アオイホノオ』は大学2年生くらいですから、舞台となっているのはどちらもほぼ1980年、同時代な訳です。
『爆音列島』の中で劇場版ガンダムのために徹夜で並んでいる人々を主人公らが馬鹿にする場面がありますが、この並んでいるアニメファン勢が『アオイホノオ』側ですね。一つの世界を別の方向から見ているようで面白いです。
同じ時代を描いているのに随分と風景が違います。方や暴走族、方や漫画とアニメの世界。
『アオイホノオ』で遂にプロデビューしたホノオくん(島本和彦)が雁屋哲先生の原作で連載を始める場面があります(『風の戦士ダン』
一方、固定電話しかなくて不便な感じとかは、当然ながら共通しています。電話が個人に直通しているか否か、という差異はかなり大きいでしょう。この変化が1995年くらい。90年代後半には携帯電話が普及していましたから。それまでは電話と言っても、家族や下宿のネットワークからは切断されていなかった訳です。個人に繋がる前にワンクッションある。そのもどかしさ、面倒臭さ、それと同時にそこから生まれるドラマ。
個と個の関係が直接的になればなる程、象徴的な次元が薄っぺらくなって、どこか統合失調症的なショートカット感が出てきます。
『爆音列島』も『アオイホノオ』も人と人の間に遅延回路があるような肉感は通じるものがあります。
平成産まれもそれなりな年齢になって、周りを見回すと昭和を美化する言説などもちらほらと見られるのですが、リアル昭和ってそんなに良いものでもなかったでしょう。わたしの知っているのは勿論、昭和と言っても最末期の断片的なもので、それも幼い頃の印象ですが、とにかく寒くて暗かった感じしかありません。『爆音列島』の荒れた空気感とか、なんとなくわかりますけどね。
遅延回路の挟まれる質感のある世界というのは真っ当だと思いますし、もっと世の中不便で理不尽にしなければいけないと思っていますが、この辺は暴力性とワンセットなのであって、暴力抜きで「人間的」世界を夢想しても、それこそ絵空事でしょう。
今の時代だって後から思い出すと沼の底のようで、恐ろしいものなんでしょうね。