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裏表のない人というのは信用ならん

 裏表のない人というのは信用ならんな、と思うのです。
 いや、裏表がありすぎるというのも、褒められたことではないですよ。あっちで仲良しにしていたのが、こっちで陰口を叩きまくる、というのは、まぁよくあるお話ではありますが、あまりみっともいいものじゃございません。でもこれは普通の社会道徳のお話で、嘘はいけません、陰口はよくありません、というだけのことです。
 ここで言う「裏表のない人」とは、ただ単に「割と正直」「陰口を言わない」といったことではなく、曲がったことが嫌いで融通がきかず、物事を額面通りに受け取り、言葉通りに実行しようとするタイプの人のことです。良く言えば真面目で正直ということでしょうが、委員長キャラというか、度が過ぎる場合は自閉症スペクトラム的というか、付き合っていく上ではやや緊張を強いられるタイプではないかと思います。
 まぁ別にいいんですよ。裏表がなくても。
 ただこういう人は、こっちの言ったことも額面通りにガチンと受け止めてしまっていることが多いですから、そういうつもりでこっちも喋らないといけません。どこをどう真っ正直に受け止められるかわかったものじゃないですし、またこちらにちょっとのアラでもあろうものならどんなツッコミを受けるか分かりませんから、慎重に言葉を選ぶ必要があります。
 それだけであれば、要は「疲れるから関わりたくない」ということなのですが、同時に「信用ならん」という気分にもなるのは、ちょっと不思議で面白いです。ある意味、こういう人ほど「信用できる」人はいないからです。機械は絶対間違えない、というような信用です。
 にも関わらず「信用ならん」という気がしてくるのは、わたしたちが普段、人に対して「信用」ということを考える時、そこで言っている「信用」は、機械に対する「信用」とは種類が違うからでしょう。物事正確にやってくれる、間違えない、ということではなく、こちらの意を汲んでくれて、文言に多少の間違いがあっても基本的な「善性」のようなものを想定してくれる、ということです。逆に、こちらとしても、多少の間違いがあってもおおよそ「善性」をもってやってくれている、という気分でいるのです。
 本当のところ、「善性」どころかちょっと悪い人かもしれません。少なくともわたしはちょっと悪い人です。関わっている人たちも、まぁちょっとは悪い人でしょう。そういうところも含めて「なあなあ」でやっていきましょう、という了解で付き合っているのです。大概の人間は物事徹底したりする能力も根性もないので、テキトーにその辺で手を打つわけです。
 そういうのが通じないというのは、非常に疲れるし、ちょうど秘密警察か何かが常にどこかで目を光らせている社会のようで、「信用ならん」感じがするわけです。
 ことわっておきますが、悪い人でもいい、とか言っているんじゃないんですよ。悪いにも程度というものがありますから、他人を連帯保証人にして一千万借りてそのままトンズラとか、そんなレベルまで行かれるとこれはシャレにならんわけです。ちょっと悪くてもいいけど、シャレになる程度で済ませて頂きたいということです。どの辺までがシャレになるのかというのは、これまたテキトーな話で別に絶対の線引があるわけではないのですが、おおよそのシャレ具合、おおよその許容範囲というのを大体共有している間柄だと、「信用できる」感が出てきます。
 もちろん、その外側であったとしても敵だとか殺せ!とかいう話ではなくて、ただ単に今ひとつ信用感が沸かないしあんまりお付き合いはしたくないなぁ、という程度のお話です。大概、世の中の人はそういう小さな世界で生きていて、その外側についても特段の感情を持つわけでもなく、ただあまり関わらない、という生き方をしているのではないかと思います。
 ワタクシなどは言ってることの九割くらいはどうせ舌の先っぽの細胞あたりでポッと出てきたのがそのまま口から出ているようなものですから、そんなものの微に入り細に入り額面通りに受け取って、真面目に考えられても困るわけです。テキトーに受け流して頂きたいのです。
 大昔にわたしの知人が「足の裏をよく洗っていると風邪をひかない」という、民間療法っぽい話をしていて、わたしはそれを真に受けてずっと足の裏をよく洗っていたのです。しかしそれから十年近く経った時にこの話を当の知人にすると、彼女はそんな話をしたことすら全く覚えていませんでした。大概、そんなもんです。ちなみに足の裏を洗っても風邪はひきました。
 わたしの喋っていることについても、十年くらい真面目にとられて「足の裏を洗っても風邪ひくじゃないか!」とか怒られても困るわけです。
 だからといって、十割嘘だとかいわけでもなく、その時その時は何か言いたいことはあったのでしょうし、そういう「言いたい感じ」というのをお互いに了解する間柄でやっていきたいわけです。これはとても狭い世界なのです。狭い世界で生きているのです。
 それで足を洗っても風邪はひくのですが、足は綺麗になったからまあいいんじゃないの、くらいで生きているのです。

よしこ画伯

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