『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』という本がある。
日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書) 内山 節 講談社 2007-11-16 |
およそ1965年くらいをターニングポイントとして、キツネが人を化かすような民族学的ファンタジーが日本から消えていった、という論考だ。かつての共同体意識が弱体化し、テレビが普及し、人々の情報伝達が「クチコミ」的伝承からマスメディアへと転換した時期と一致する。また正誤でものを考える教育が普及した、との言及もある。
わたしたちはもちろん、フィクションと共に生きている。本当のところ、フィクションと「現実」は合わせて一つであり、共通のフィクションこそが現実を構成している。
しかしそのフィクションの有り様は、情報の共有・伝達方式に強く縛られていて、テレビと近代教育の普及にキツネはついていけなくなった。
それが1965年。
一方、速水健朗氏に『1995年』という快作がある。
1995年 (ちくま新書) 速水 健朗 筑摩書房 2013-11-07 |
1995年はオウム事件、阪神大震災の年。そしてインターネットや携帯電話といった、今わたしたちの生きている「現代日本」を構成する基本要素が、一通り出揃った時期だ。これ以降、もちろんインターネットは爆発的に普及し質的にも向上したが、根本的な転換は起こっていない。
インターネットの登場ももちろん、情報の共有・伝達方式を大きく変える。ここでもまた、わたしたちを支えていたフィクションの一部が潰えて、また別の(それとは自覚できない)フィクションがわたしたちを支配するようになった。
わたしは世代的に、1965年のことは分からないが、1995年のことはよく覚えている。
1995年に既に思春期以降であった人間というのは、それまで生きていた現実=フィクションが一度崩れ去るのを経験している世代だ。
それは「恐怖の大王」が来なかった世代とも言える。
当時、高度成長期以降に生まれた人間は四十何歳だかで死ぬ、みたいな言説があって、わたし自身、なんとなく「汚染物質まみれ」な世界を生きてきた人間は早死にするんじゃないか、今の老人が長生きなのは、明治のパワーで生き抜いた人々に現代医学がプラスされている一時的な現象なんじゃないか、という、ぼんやりとした予感があった。冷戦期を記憶している世代なら、ある日突然世界が終わるんじゃないか、というファンタジーがどこかにあった筈だ。だから「恐怖の大王」もあれだけ人々の間を駆け巡った。
しかし「恐怖の大王」は来なかったし、わたしたちの世代も四十何歳だかに近づきつつあるけれど、一斉に死んでいっている気配もない。
それ以降の世代だったら、こんな物語には巻き込まれなかっただろう。彼らは「恥をかかずに済んだ」。
わたしたちの世代、1995年に思春期以降だった人々は、おそらく1965年を越えた人々と同様に、「恥をかいている」。つまり、一つのフィクションが終わり、別のフィクションに飲み込まれるという、恥辱の瞬間を越えてなお「生き恥を晒している」。
そして正に、「生き恥」こそが生きるということなのだろう、とわたし自身は思っている。
とりわけ、こうした「現実構成」が数十年おきに、あるいはもっと速く転換する時代を生きている人間は、「生き恥」こそが人生だ。恥に耐えられない人間はこの世界を生きていくことができない(そして実際、死ぬ人間は沢山いる)。
こうした転換について、オウムはあまりに象徴的で、あまりに多くの人々が言及している。
わたし自身、オウムは胡散臭い存在だとは思っていたけれど、身の回りに普通にいたし、そんなに突拍子もない人々でもなかった。「変な人たち」ではあるけれど、まぁ世の中には変な人は結構いるものなので、それなりに生きていくのだろう、というぐらいにしか思っていなかった。実際、当時の文化人にはオウムに親和的な人たちが結構いた。彼らも「生き恥」を生きている。
以降の新興宗教はもっとクレバーになって、YouTubeにふっとばされるような物語は語らなくなった。
このオウムと並んで、個人的によく思い出すのは骨法だ。これはオウムに比べると格段にマイナーで、最近、身近にいる少し下の世代で格闘技に馴染みのない人物に尋ねたら、骨法など名前も知らなかった。でも、90年代に格闘技・武術に親しんでいた人々、あるいはプロレスファンなどであれば、知らない人はいない、というくらいものすごい存在だった。
ここで言う骨法とは、堀辺正史師範による「喧嘩芸骨法」のことで、「奈良時代の武人、大伴古麻呂より伝わる日本独自の拳法」を自称していたものだ。当時、プロレスラーにも教えを請いに来る人たちがいて、中国武術ライクな技術体系で武術オタクを魅了していたものだ。しかし時はバーリトゥード草創期。ゴロツキの集まりのような初期UFCが開催され、多くの格闘技ファンが夢見ていたような美しいバトルは展開されず、訳の分からない泥仕合の中で、異様に地味な寝技戦法を使うヒョロリとした無名の男が優勝をかっさらっていった時期だ。骨法はこの「黒船来襲」を本当に迎え撃ちに行き、惨敗を期してメディアから消えた。それまでさんざん骨法を持ち上げてきた『格闘技通信』などは手のひらを返し、後に謝罪までした程で、格闘技・武術界隈では黒歴史的に語り継がれる怪事件だった。
骨法会員番号229番!漫画家・中川カ〜ルが見た「骨法変節の瞬間」:Dropkick:『Dropkick』チャンネル(Dropkick編集部) – ニコニコチャンネル:スポーツという記事を読むと、当時の骨法には、「オウムか骨法か迷って骨法に来た」という人がいたそうで、「ああやはりな」と思った。
わたしは当時、格闘技・武術はなにも分からず入門したレベルで、それほど入れ込んでいるわけではなかったけれど、周りで骨法のことを気にしている人たちはチラホラと見えた。堀部師範の本を読むと、これが実に劇画調で、めちゃくちゃ面白かった。幸い?東京から遠く離れていたので入門こそしなかったけれど、東京在住だったらうっかり東中野に通っていたかもしれない。
大槻ケンヂ氏が、「堀部師範は二十年早ければ大山倍達になれた人だった」とおっしゃっていたらしいけれど、本当にその通りだと思う。彼の語る物語は実に魅力的で、もう少し時代が早ければ、つまり「1995年」より前で、グレイシーもやって来ていなければ、ハッタリももうちょっと長持ちして、そのうち本当に強い選手を育てられて、「嘘から出た真」的にそれなりな流派になっていたのではないかと思う。
骨法を批判する人たちは多い。
堀部師範は佐川幸義先生の門下出身で、吉丸慶雪氏の協力などを受けて当初「換骨拳」の道場を立ち上げ、その後「骨法」と名前を変えた。当初はトリッキーな蹴り技などが目を引いていたけれど、掌打を中心とする詠春拳かジークンドーのようなスタイルに変形(これが現在も動画が残り、多くの人々が知っているいわゆる「ペチペチ骨法」)、その後のバーリトゥード襲来を目撃した以降は「三角の構え」などの今までとまったく違うスタイルに再変更、これも試合で敗れて、以降の詳しい変遷は知られていないが、現在も武器術を中心として指導が行われているらしい。
批判者の多くは、骨法の選手が試合で惨敗したことや、堀部師範の経歴にあまりに「嘘」が多いこと、そしてスタイルがコロコロと変わり一貫性がないこと、金にまみれた道場経営などをやり玉にあげている。
これらは全くその通りだし、堀部師範のストーリーも、今思えばハッタリにしてもやり過ぎだ。始祖伝説などはどんな武術でも胡散臭いものなので、その辺は割り引いて見た方が良いかと思うけれど、彼個人の喧嘩列伝も、冷静に考えれば多くがフィクション、または大幅な脚色を加えたものだっただろう。
また、カルト宗教じみた道場経営にも問題はあっただろう。その辺りは、上にあげた中川カ〜ル氏の記事が、変遷をよく伝えている。中川カ〜ル氏が抜けた以降あたり、矢野卓見選手がよく批判する時期というのは、本当に金まみれのカルト教団のようになっていたのだと思う。
ただおそらく、中川カ〜ル氏がおっしゃっている通り、初期の頃は本当に一定の実力を備えた町道場の一つだったのだろう、と思っている。
堀部師範のことを気軽に誹謗する人たちは大勢いるし、もちろん直接の「被害」を受けた方々が批判するのは当然なのだけれど、多分、彼自身も一定の実力者だったのだと思う。堀部師範の動画を嗤う人たちがいるけれど、一定の武術的訓練を受けたしっかりした動作だという印象を受ける。わたしのレベルでは何ともいえないけれど、当時一緒に動画を見たことのある人たちにも「弟子の動きや技法はともかく、堀部氏自身はそれなりに強い」という感想をもった人たちが何人もいた。
ただ、それらはあくまで武術ベースのもので、それをそのまま格闘技の試合に使えるかといえば、そう簡単な話ではないだろう。総合格闘技草創期には、その辺の弁別がまだはっきりしておらず、ナイーヴに参戦してしまったことが失敗を招いたのだと思う。山田英司氏の言い方をするなら「アダプターテクニック」的なものをもっと時間をかけて育成していたら、そこそこ戦える、勝ったり負けたりする流派になっていた可能性は多いにあるだろう。
ちなみに、山田英司氏は、当時骨法を盛り上げてきた『格闘技通信』のスタンスを「見る側」とし、「やる側」代表として『フルコンタクトカラテ』誌を引っ張っていた人物だ。氏自身は中国武術出身の方だが、伝統武術の問題点を批判し、当時はフルコンを高く評価していた。今はまた武術系に戻り、独自の研究をすすめているらしい。こういう人物こそ、武術と格闘技のそれぞれの特性をよく理解し、武術にできることできないことをよく見極めていたと思う。だからこそ、武術を格闘技につなぐ「アダプター」という発想をし、そのままで突然武術の達人が活躍するようなファンタジーを批判し、それでいてなおかつ、武術本来の価値を見失わなかったのだろう。
骨法の堀部師範も、もう少し慎重さがあれば、そういう道を歩み、時間をかけてそれなりの流派を育てられた可能性はあったはずだ。あれだけのカリスマ性があったのだから、集まる人材の中には優れた人も沢山いただろう。
いけなかったのは、中川氏の記事にもあるように、「オウムか骨法か」のようなタイプの人々が流入してカルト化してしまったこと、カリスマ的人気がありすぎたのか、道場経営がズブズブになってしまったこと、そして「黒船襲来」が早すぎたことだろうか。また、中川氏の記事ではじめて知ったのだけれど、4スタンス理論で知られる廣戸聡一氏、スポーツトレーナーとして活躍されている最上晴朗氏は骨法草創期のメンバーで、凄まじい実力者だったそうだ。彼らは骨法初期の書籍でモデルをつとめているので、当時の本を知っている人は目にしたことがある筈だ。中川氏の言う通り、彼らが骨法をやめず、九州の格闘技大会に出て活躍していれば、歴史が変わっていたかもしれない。そういう実績をあげれば、それだけ人材も集まるし、その中には元々強い人もいたはずだ。その後、総合の舞台で「勝ったり負けたり」だったとしても、大失速するという事態にはならなかったように思う。大体、普通のどんな流派でも「勝ったり負けたり」なわけで、強さなんて所詮個人のものなのだから、母体数が多くて時々ぽっと強い人がいれば、要するに普通の団体としてやれてはいけるだろう。
当時の骨法には夢があったし、堀部氏自身も、もともとはそれなりのバックグラウンドを持った実力者なのだと思う。これを武術的に発展させ、格闘技向けのアダプター的技法を時間をかけて組み立て、強い弟子を育てていれば、武術・格闘技業界の様相も違ったものになっていたかもしれない。
でもそういうロマンの時代は、1995年で終わってしまった。
インターネットがやってきて、30秒の動画でパッと誰にでもわかる力を示せないものは、即フルボッコにされるか無視される時代になってしまった。
骨法は1995年直前の大ブームの反動で大失速はしたものの、幸い、オウムほどの大事件にはならなかった。堀部師範は要するに一武術指導者であって、日本転覆とかを企んだわけではない(企んでたのかな?)。
だから麻原彰晃のように塀の中に閉じ込められることはなかったし、今も細々道場を運営されている。
正に「生き恥」を生きている。
こういうと堀部師範を悪く言っているようだけれど、最初に書いたように、「生き恥」を生きることこそが人生だとわたしは信じている。だから、堀部師範が今も道場を運営されているということは、むしろ立派なことだと思う。
時代に振り回されてしまったというだけで、氏自身は多分、魅力的な人物なのだろう。動画などで拝見する所作は美しいし、ちょっとはにかんだ笑みなども可愛らしいところがある。そういう魅力があるから、あれだけの人を惹きつけたのだろうし、今も慕ってくる人がいるのだろう。氏自身というより、その周りにいる人達があまりに怖そうで、わたし個人はちょっと近づく度胸はないのだけれど。
ネットの時代になって、「元骨法」という人たちの声を時々耳にできるようになった。色々な流派でそれなりに武術・格闘技を続けている方も多い。実績をあげた方もいるし、趣味でやられている人もいるし、無縁になってしまった人たちもいるだろう。実は身近にも「元骨法」の人が一人いるのだけれど、彼は五十代にして尚、別の武道を続けているし、活き活きとしていて結構強い(骨法のことは、先輩に対してちょっと聞けない雰囲気だけれど)。
皆んなそうやって、1995年を越えて生きていくものだと思う。生きなければいけない。
その後の「恥をかかないで済んだ」世代にしたところで、2025年あたりにまた大転換がくるかもしれない。その時には、今の現実がフィクションになり、大恥をかく人たちもいるだろう。でも、生きなければいけない。
後からやってきて「バカなことをやっていた」というのは簡単だけれど、その中を生きていて、転換を抜けて振り返り、なお生きるということは、必ずしも簡単なことではない。でも、生きなければいけない。
人は常に、いつどこで恥をかくか分からないものなのだから、恥をかいた人を笑ってはならない。そういう調子に乗った態度は、必ず自分にかえってきてひどい目にあう。恥と誇りで人は生きているのだ。人の誇りを傷つけるというのは、物理的に腕をへし折ることなどより余程非道で、かつ災いをかえす行いだ。だから、恥を知って、生き恥の中を生き、その自覚をもたないといけない。
人の誇りを傷つけて腕を折られた人間がいたら、その人をこそ嗤う。
もちろん、彼または彼女もまた、腕を治して生きなければならない(願わくば、もう少し賢くなって)。
わたしたちの世代にとって、恐怖の大王は、ある意味本当にやって来たのではないかと思う。
恐怖の大王は今ここにいるし、じわじわとわたしたちを苦しめながら、共に生きている。
それも悪くない。
必殺 骨法(こっぽう)の極意―喧嘩に勝てる秘伝のテクニック (サラ・ブックス) 堀辺 正史 二見書房 1988-08 |
と、今あらためてこの有名な本をAmazonで見てみたのだけれど、いやぁ、今見ると実に胡散臭い。でもそこが面白いと思うのよ!
ちなみに、上に触れた吉丸慶雪氏も、当時の武術オタク界隈では結構キャッチーな人物だったと記憶している。当時在籍していた道場の先生が影響を受けていた(笑)。
既に故人なので悪くは言いたくないけれど、とにかく伸筋使えばいい的な分かりやすい図式で、冷静に考えれば無茶苦茶なのだけれど、身体操作とか追求している系の人々の心には妙に響くものがあったと思う。
これも、文字通りにとった理論としてはおかしいけれど、感覚ベースで考えると主観的にはしっくりくるものがある、という例だと思う。多分、直接吉丸氏から指導を受けていた人の中には、色々と収穫を得られた人もいるのではないだろうか。まぁでも、本で読んで鵜呑みにしてはやっぱり危ないだろうけれど。