最近某タレントが高校の制服を盗んで捕まったけれど、この手の犯罪、ある種の性犯罪というのは、薬物中毒のようなもので、多分本人の意志だけでスパッとやめられるものでもないんだろう。
性犯罪のすべてがそうだというのではないし、「魔が差して」というのが多いと思うけれど、世の中には一定数、シャブ中とか制服盗む中とか痴漢中みたいな人たちがいると思う。
自分でも「もうダメだ、やめないと」と思っていても、もう制御しきれないような人たちだ。
これがもし、純粋に性的な志向・嗜好の話だとしたら、そんなものは当人の勝手であって、好きにやってくれ、ということになる。それすらも好きにさせてくれない人たちは大勢いるけれど、その場合は「俺の町」を手放せない人たちの方が「俺の町」中毒なので、今回は置いておく(正義と「この世界」と理神論、そして大山のぶ代)。
で、ある種のタイプの人たちは、SMクラブでお姉さんの靴を舐めたりするのじゃなくて、他人の制服をパチッてくることを通じて世界と自分が合体していて、それなしには生きていけない。その他の志向・嗜好と同じく、「矯正」なんてのはナンセンスな話だ。
SMクラブなら正当な対価を支払えば合法的に楽しめたものが、ほとんど運命的な定めで、この人たちは法に触れないと世界を確認できない。
そういう意味では、道を普通に走っていたトラックの運転手さんが、飛び出してきた子供をはねてしまったのにもちょっと似ている。自分の意志を越えたところで、大きな罪を犯してしまった。そして重要なことに、わたしたちは「運が悪かっただけ」のことに対しても責任を負わなくてはならない。
正確に言えば、法的な責任については情状酌量される筈だけれど、わたしたちは「運命の巡り合わせ」によっていろんなことを左右されながら、時々運が悪いと罪を犯し、その罪を償わないといけない。償うとかなんとかいう以前に、ほとんどの場合は、自分で自分を裁くことを止められないだろう。
と、書いていると、なんとなくあのタレントさんが「かわいそうな人」で、擁護しているように見えるかもしれない。
実際、多少「かわいそう」とも思っている。もちろん、制服を盗まれた子の方が百倍かわいそうなわけだけれど。
で、「かわいそう」かどうか、ということとは別にして、これでもってわたしたちが追及の手を緩めるべきかといえば、全くそういうことはない。
彼・彼女らはある意味「運が悪かった」だけなのだけれど、その運の元に、わたしたちの世界のために死んでくれ!と言おうとしている。わたしたちは、運の悪いヤツを棒で殴って殺さないといけない。
いや、この場合はなにも死ななくてもいいので、死ねは言い過ぎだけれど、それなりにひどい目にあって晒し者になってください、ということだ。
ああこの人は気の毒な人だ、SMクラブで靴を舐めるだけの趣味なら平和に暮らせたものを、自分ではどうにもならな運命に弄ばれて、世の中全体からフルボッコにされた上、刑務所に叩き込まれるのだ。ああかわいそう。でも死ね。わたしのために。
そういう営みを通じて、わたしたちの世界というのは維持されているし、この個別性、この偶然性、この「俺の町」という正義は、そうやって成り立っている。
はっきり言って、裁かれる人たちというのはサイコロで決めてもいいのじゃなかと思う。まるっきり余談だけれど、政権与党とかもサイコロで決めていいんじゃないかと思うことがあるけれど、それはともかく、サイコロみたいなもので魔道に堕ちた人たちを、わたしたちは棒で殴るし、殴らないといけない。
これは所詮「俺の町」なので、必要悪としての正義でしかないのだけれど、制服盗んだ人とか痴漢加害者をボコボコにするのは、多分わたしたちの多くが属している「俺の町」的に「必要」の領分を越えていないだろう。だから、わたしも棒を手にとって殴る。ごめんよ。でも死ね。
世の中はそうやって回っているので、彼のような人が捕まったからといって、世の中が少し綺麗になったということはないし、前と変わらず見渡す限りクソクソクソのままだ。
殴られるクソ、殴るクソ、すべてクソだ。
しかしわたしたちはクソによって生きているので、殴る順番が来たら棒をとって殴らないといけないし、殴られる順番が来たら殴られないといけない。その順番は、サイコロのようなもので最初から決まっている。
世の中には、「悪い人」とか「女の敵」みたいのがやっつけられると、その分だけ世の中が良くなり前進したかのようにはしゃぎだす人たちがいるけれど、この人たちのはしゃぎっぷりは、クジにあたった「性犯罪者」たちより余程みっともない。戦って、勝ったり負けたりしてきた人間なら、そういう軽率なことはできない筈だ。今日勝った人間も、明日には生き恥を晒すかもしれない。だから調子に乗らないことだ。
勝った人間と負けた人間、あわせて世の中というもので、明日には並んでご飯を食べないといけないかもしれない。そういう風にして、わたしたちはやっていくしかないのだ。だから勝っても負けても、粛々と振る舞わなければいけない。すべて、サイコロの順番だ。
せめて、はしゃぐことなく静かに棒を取り、粛々と殴りたい。ごめん、死んでくれ。