ロルフィング体験談(セッション1-5)の続き。
エライ中途半端だけれど、セッション6-7の感想をメモしておく。
なんかロルフィングのことではなく、最近感じている身体系のお話になってしまった。
6回目
内側系3回目。
仙骨まわりがテーマのようだけれど、ほとんどがうつぶせの施術で、太もも裏から腰あたりがメインだった。
ほかは座っての首周りなど。
施術中にうとうとしてしまったせいか、随分短いように感じた。
身体の調子自体は良い。劇的にパフォーマンスがあがった、というわけではないけれど、多少は効いてる気がする。単に練習の成果かもしれないし、当たり前だけれど練習していなければ何をしようが実際上のパフォーマンスに生かせるわけがないのだけれど、この期間、少し伸びが速くなっているような気がしなくもない。
これもロルフィングとは直接関係ないのだけれど、このところ槍のことをよく考えている。
別段槍術そのものをやる必要はなのだけれど、槍を持ってできないようなことは大体間違っている。別に槍じゃなくて棒でも良いのだけれど、ある程度長さがあって重くて両手で動かすものだ。これを意識するだけで、上体外側の張りと全体の統合が大分良くなる。
基本的には振り下ろす、振り上げる、払う、といった動きだけれど、長いものをもったまま移動しようとしたらどうなるか、よくよく確かめてみるといい。また突く、という動作があり、この時両手が物理的には非常に近くなる。だから、棒を持っているから常に両手の物理的関係が一定、というわけではない。この関係が変化しても、根本の関係が変わらない、というところがポイントだ。
それから、誰でも利き腕とそうでない側で違いがあると思うのだけれど、これにこだわりすぎると良くないのではないか、という気もしてきた。得意な側を手本にして苦手な方を倍ほど練習する、というのは基本としてもちろん必要なのだけれど、そもそも右腕と左腕がある、という考え自体が思い込みだ。
腕とか足とか、そんなものはないのであって、全部思い込みなのだから、左が苦手なら右しかないと思えばいい。右腕の先っぽ側と根本側があるだけで、一本の棒の両側を使っていると意識した方がいい。
そうしてみると、自分の背中が思いのほかきちんとセンタリングできていないことに気づく。
バランスというより、そもそもバランスなど要らないようなものを意識する。
7回目
ほとんど仰向けで首周りの施術。
首左側の上の方の関節に固いところがある、というのは、自分でも気になっていたところで、指摘されてなるほどと思った。確かに首は少し固いと思う。
また、この回は口の中と鼻の中に指を入れる、という、かなり変な施術がある(もちろん手袋をしている)。
ただ、実際受けてみると、口の中については歯医者さんと同じ要領なので、それほど奇妙な体験でもなかった。
鼻の中はかなり間抜けな風景だけれど、粛々と施術するだけ。
ここのところ、身体のつながりが結構良くなっている感じがある。よく稽古しているので、ロルフィングのせいなのかどうなのかはわからない。
またロルフィングと直接関係ないのだけれど、ここのところ感じていること。
手とか足とかそんなものはない、というのは当たり前の話で、そんなものはただの言葉というか、イメージ的なまとまりであって、もっとこう、一つの肉の塊がベチャーッとしている感じにならないといけない。腕が胸鎖関節から始まるとか、外側が仙骨の方まで続いているとか、そういうのも塊感の話で、ある程度やってる人間なら大前提としてあると思う。
でも、前提としてわかってるだけで、実際できてるかどうかというと、やっぱりそんな簡単な話じゃないだろう。
で、話が変わるようだけれど、わたしも大抵の人と同じように、利き腕でない方の感覚は鈍い。うまく動かない。右利きだとしたら、右でできることを左でできるように、右を手本にして左で練習したり、交互に入れ替えて何度も確認したり、左を倍ほど練習したり、そういうことは皆んなやると思う。実際、ある程度有効なんじゃないかと思ってる。
ただ、よくよく考えて見れば、左右でどっちが得意、とか考えてる時点で、左右というものがある。本当のところ、手足がないのと同じように、左右なんてものもないんじゃないか。
つまり、対称で比べうるものとしての右と左、みたいな発想が既に頭で考えたイメージにとらわれている、ということ。
例えば、右しかないと思ってみる。右の先っぽは右手だけれど、その根っこの方を辿って行くと、そのまま左に抜けていて、つまり一本の棒の先っぽと根本だと思ってみる。対称な右と左じゃない。
とにかく、何か一つのものだと考えてみる。上下の場合は上と下では明らかに違うのでそれほどミスリーディングではないのだけれど、左右というのは右と左で基本対称、2で割れます、みたいなイメージがあって、これが邪魔している。左右も一のあらわれの違い、と考えてみる。
武術的な文脈で言えば、槍を持って同じことができないといけない。いや、別に棒でもいいのだけれど、ああいう長くて重い物を操作するイメージというのは非常に助けになる。実際、棒で練習してみても良いと思う。
そんなことを考えながらあれこれ工夫していると、以前よりまとまりが出てきたように感じる。
左が右と同じように動かない、と考えるのではなく、結果として左も動くよう、一つのものと考えて練習してみる。
もう一つ、腕に重みを乗せる、というのは武術系で皆んな工夫して試行錯誤するところだけれど、これも「重みを出す」とか「力を伝える」と思っているとなかなかすっきり行かないように思う。
重みが乗っている腕というのは、中心で発生して力が伝達されているというより、腕なんか動かす余地がなくそのまんま非常に大きなブロックの一つ、という感じになる。そういうことは頭ではわかっているのだけれど、やはり日常の感覚に引きずられているので、つい「伝える」みたいに考えてしまって失敗する。
ブロックの一つとして扱える時は、腕とか末端がそれだけで動くものではなく、動かしたくても動けない。そういう「動きづらい場所」を探すのは早道になるかと思う。
当然、腕が体幹から離れすぎるとこういう操作はできない。つながって動ける範囲だけで使うことになる。つまり、必然的に歩法というものが一体になっていないと実用にはならない。
それから、実用ということで言えば、この狭い範囲だけで使う、そのために全体が移動する、という操作は、結構相手の近くまでいかないといけないので、根性が要る。いかにも殴られそうだし、実際殴られる。
殴られるのを嫌がっていると何もできないので、殴らせてあげるくらいでいかないといけないのだけれど、そうは言ってもあんまりボコボコに殴られるのはイヤだ。素手ならまだ頑張れるかもしれないけれど、刺されたりしたら一発でアウトじゃないか。
そうなると、手の位置というものが大切になってきて、手をあげる、ということを皆考えるのだけれど、これも「あげる」と思っているとうまくいかない。むしろ「あがる」というか、必然的にその位置に手がくる、という内的状態が必要で、これも腕を大きなブロックの中で使う、ということと一体になっていると思う。