ちょっと前に、岐阜県でヤンキーの子らがルールを決めて決闘しようとして捕まった、というニュースがありました。
「決闘だ!」でも「凶器は使うな」「髪の毛はつかむな」… ルール厳守で乱闘 少年22人書類送検 – 産経ニュース
かなり細かくルールを決めてやろうとしようとしていたらしいです。
このニュースに対し、
これだけ調整するスキルがあるなら、スポーツ団体ということにして入門届を一筆書いて組手としてやればいい。感心してしまった。 – yoshikogahaku のコメント / はてなブックマーク
とブコメを残したら、思いのほかお星を頂戴してしまって驚きました。
まぁネタ半分ですが、半分くらい本気もあります。
当然ながら、いかに彼らの調整スキルが高いからといって、建前用のスポーツ団体を本当に設立してことを運ぶ、というのは容易ではないですし、仮にそうした建前を揃えたとしても、実際に「決闘」をして捜査に入られたりしたら、あっという間に偽装なんてバレて、やっぱり捕まるんじゃないか、という気はします。多少はおおめに見てもらえるかと思いますが・・。
武術・格闘技とは割と長いお付き合いなのですが、実際に一昔前にはこれに近いようなことは行われていたようです。道場破り的な人が来ても、ただボコボコにすると傷害罪になってしまう可能性があるので、一応入門届けを出してもらって、組手として行う、みたいなものです。
わたしの直接知っている範囲では、そこまで過激なものはないですが、公開セミナーなどにあまりに攻撃的だったり生意気なのが来ると、「一応シメとかないとアカン」的なものはあったようなないような。
その他、道場の窓から酔っぱらいがヤジってきたり、野外で調子に乗った若いのが冷やかしに来て、「ちょっと運動していこうか」的な風景があったようなないような。
多分、高度成長期くらいまでの、団塊世代が若かった時代くらいまでは、こんなものではなく色々過激なことがあったのではないかと思います。今はそんな乱暴な運営をしていたら道場経営がまったく成り立たないので、これから始めてみようという人はビビらないで大丈夫です。というか、普通にしていればそんな恐ろしいことはありません。多分。
そもそも、戦後の荒っぽい時代なんかは、少林寺拳法なども「若いヤツらに武道を通じて仏法を教えよう」みたいなコンセプトで広められたみたいですし、そういう血の気の多いのを収容してそれなりに社会化する、という意義は大きかったのではないでしょうか。ちょっと前に浜松の在日ブラジル人についての記事を読んでいたら、荒れていた少年がカポエイラを始めてまともになったエピソードがあって、今でもそれなりに機能はしていると思います。若年人口が少なくなったことに加えて、今の若者は昔より大人しくなっているでしょうから、そういう傾向はずっと弱くはなっているでしょうけれど。
ケンカはしない方が良いに決まっていますが、若者の一部には多少なりとも荒っぽい連中がいるのは自然なことですし、そういう人たちが合法的に多少暴れつつ、ルールを学んで大人になっていく場所というのが、あってしかるべきだと思います。
大体、決闘そのものも犯罪ではあるのですが、別に第三者に迷惑がかかるわけでもなく(多分)、多少殴りあって青タン作るくらいおおめに見てやってみいいように思うのですけどね。ダメですか。ダメですかね。
そういえば、うちの師匠が某所の公園で一人で稽古していたところ、すぐそばで少年少女らが輪を作って、その真中で女の子同士がガチ殴り合いの「決闘」をやっていたそうです。しばらくすると誰かが通報したらしく、警察が来てしまったのですが、その女の子はそばにいた師匠が通報したと勘違いしたらしく「余計なことしてんじゃねーよクソオヤジ!」みたいな捨て台詞を吐かれて「俺じゃねー!!」とツッコみたくなった、と聞きました。まぁ、そういう血の気の多いのも滅んではいないようです。
なんというか、世の中には表のルールとそれに沿ったキチンとした「教育」というのがあるのですが、世の中のすべてがそこに回収されるわけもなく、むしろ水面下のかなりの部分が裏のルールの裏の教育の中で揉まれていて、まぁそれなりに大人になったりするものかと思います。その中には大人といってもどうしようもないクズの大人になる人達がいるので、裏の教育がどれほどのものかというのは疑問ですが、それを言ったら表の教育を受けてもクズはクズなので、まぁそんなものではないでしょうか。
インターネットが普及したり、色々なものが透明になると、こういう裏のものはなかなか生存が厳しくなるのですが、世の中にちょっと薄暗くよく見えない部分があって、そこでゴニョゴニョ表では言えないようなことが行われ、でもまぁそれなりに大概は落ち着いていく、というのは、ある一定の範囲であればある方が健全じゃないのかなーとは思っています。
どうなんでしょうね。